オーストラリアのシラーズや、エルミタージュのシラーと趣を異にしたエレガントな、たたずまい。あくまでもドライで、上品なすみれやハーブなどのフローラルな香りと、甘苦いエキゾチックなスパイスのアクセント。伸びやかな酸とタンニンに恵まれたしっかりした骨格。黒系果実が中心では有るものの、過熟感はなく、優れたピノ・ノワールに通じる部分も。違う一本を試してみると、野性味たっぷりの、黒胡椒や堆肥のニュアンスをまとった、典型的なシラーを体現するキュヴェもあります。今回は、フランス・北ローヌのコート・ロティを深堀してみましょう。
【目次】
1. コート・ロティとは:「焼けた丘」
2. コート・ロティの歴史:ローマのワイン
3. コート・ロティの畑:急斜面の栽培と混醸
4. コート・ロティのテロワール:2人の娘
5. コート・ロティの復興:ギガル
6. 伝統派の騎士を継ぐ者たち
7. 持っておきたいコート・ロティの勝負ヴィンテージ
8. コート・ロティのまとめ
1. コート・ロティとは:「焼けた丘」
コート・ロティは、文字通り訳せば、焼けた丘。シラー栽培の北限と言われていますが、南向きの急斜面のお蔭で、日照に恵まれ、ブドウが十分成熟することができます。気候は、温和な大陸性。南向きの斜面に植えられている畑は、北風の影響からも守られています。今では、温暖化のお蔭もあって、更に北のボジョレー地区でもガメイの陰で、シラーの栽培も増えていると言われています。
19世紀には、ローヌ川右岸のコート・ロティでシラーはセリーヌと呼ばれました。左岸のエルミタージュとはクローン違いであるとか、結局はシラーのシノニム(別名)に過ぎないなどさまざまな説がありますが、異なった個性を持つと考えられていました。
1973年にローヌを訪問してから、この地の虜になった高名なワインライターのジョン・リヴィングストーン・リアマンス。同じローヌだからと言って、エルミタージュと一括りに語るのでは無く、コート・ロティはブルゴーニュとローヌの架け橋と捉えています。パワーより、エレガンス。確かに、フィネスを感じさせるコート・ロティのワイン。パワフルなエルミタージュよりも、繊細なブルゴーニュのピノ・ノワールに近しいものを感じる時があります。
2. コート・ロティの歴史:ローマのワイン
この産地の歴史は古く、ローマ時代には既に栽培が始まり、大プリニウスの「博物誌」にも、「ヴィエンヌのワイン」と記述があります。この産地のワインが好きだったと言われる、紀元3世紀のローマ皇帝、プロブス。その軍隊の百人隊長という意味の、「ケントリア・ドゥ・プロバス」が生産者協会の名称になっています。
でも、19世紀にはエルミタージュより遥かに低価格で販売されていました。色も薄くタンニンも弱い当時のボルドーのブレンド相手として、重宝されていたのは、パワーの有るエルミタージュ。エレガントなコート・ロティは、試練の時を迎えました。
19世紀末からは、フィロキセラと2つの戦争のお蔭で、栽培者も減り、畑も放置されました。栽培面積は、1960年には60ヘクタールと減少。第一次大戦後にはデイリーワイン扱い。その後、物価が上がっても、コート・ロティの売れ行きは鳴かず飛ばず。労働集約的な斜面での作業が、割に合わなくなって、休耕地が増えました。平地の畑ではレタスやえんどう豆が植えられ、また、アプリコットがブドウ価格の2倍もしたといいます。ブドウ樹が、どんどん抜根されてしまったのも頷けます。収穫の大半はネゴシアンに売却されるか、地元消費に回される辛い時代が続きます。
こうした苦境から、今では、当時の5倍ほど迄、栽培面積が増えました。よくぞ、ここまで盛り返したものです。
3. コート・ロティの畑:急斜面の栽培と混醸
180メートルから、300メートルを越える標高に広がる畑。60度にも及ぶ急斜面での作業にも対応できるように、1本若しくは2本の支柱に新梢を結んだ棒仕立てが使われます。
畑は、石の壁で守られていて、土壌の流出が抑えられています。ギュヨ剪定が伝統的。高さは、最低1.5メートルと事細かく定められています。ヘクタール当り、6千本から1万本程度の高密植で、マーサル・セレクションが中心です。
急斜面での手作業が大変なのに、オーガニックへ移行した生産者も見られます。密植ですから、病害対策にも気を配る必要があります。ドメーヌ・ジョルジュ・ヴェルネでは、オーガニックへの移行で3割のコストアップになったと言います。それでも、被覆植物も取り入れて、ビオディナミへ歩を進めています。クリューゼル・ロックは、今世紀初頭からオーガニック栽培。ウィンチや、つるはしを使って、骨の折れる人力作業を行っています。ヘクタール当たり1人から2人の作業者が必要になると言います。
この産地で特徴的な醸造手法は、なんと言っても混醸。北ローヌで伝統的に見られる醸造方法です。赤ワインを造る時にシラーとヴィオニエを一緒に醸造。コート・ロティでは、20パーセントまでヴィオニエを加えることができます。シラーのベーコンやペッパーに、ヴィオニエのアロマティックな香りが、良い相性。シラー100%のワインも多くなってきましたが、有名生産者たちが、5パーセント前後の混醸を行っています。
このコート・ロティの伝統に倣って、オーストラリアやカリフォニアなどの新世界の生産者の間でも、ヴィオニエをシラーに加えることが、ひとつのスタイルとなっています。
シラーは、サヴォワのモンドゥーズ・ブランシュとローヌ地方に起源をもつ、デュレザの自然交配。同じモンドゥーズ・ブランシュと親子関係が有るヴィオニエは、シラーと血縁関係にあります。
この産地では、かつては白ブドウ、黒ブドウを同じ区画で混植していました。ですので、混醸も自然な流れ。敢えて、収穫の時にシラーと分けようとする方が大変です。苗木屋からシラーの苗木を調達したら、結構な数が実はヴィオニエだった!という、笑うに笑えないような話が少し前でも起きていた様です。
4. コート・ロティのテロワール:2人の娘
コート・ロティと言えば、その土壌を代表する有名な区画として挙げられるのが、アンピュイの北のコート・ブリュンヌと南のコート・ブロンド。コート・ブリュンヌは白雲母と黒雲母が混ざった片岩で、暗めの土壌。コート・ブロンドは白っぽい片麻岩。土壌が違うテロワールが隣り合わせにあります。
中世の地元の伝説では、アンピュイ城主の貴族が自分の2人の娘たちの内、焦げ茶色(ブルネット)の髪の娘には、コート・ブリュンヌを、ブロンドの娘には、コート・ブロンドをそれぞれ分け与えたといいます。
コート・ブリュンヌは骨格がしっかりとして力強く、深みのあるワイン。コート・ブロンドは若い内から楽しめる、比較的、軽やかで香り豊かなエレガントなワインになると言います。更に南部は、花崗岩と片麻岩が混在した混成岩の土壌。こうしたさまざまな区画(リューディ)の個性が際立つ畑のブドウから、ブレンドでワインを造ることが伝統的でした。
余りにも有名な、この2つのリューディ。コート・ロティを北と南に大きく分けて、コート・ロティの北部と南部の総称として語られる場合もあります。
でも、実際は、コート・ロティは73のリューディの集合体。北は、ムートンヌ、ランドンヌ、ヴィアイエールと言った銘醸区画が並んでいます。南には、アンピュイ村の中だけでも、ルモラールなどの12のリューディが存在します。
さらに、アンピュイ村の南方にはテュパン・エ・セモン村。北部には、著名な区画モンリスを有する、サン・シル・シュル・ル・ローヌ村にも畑が広がります。ここまで北上すると、ローマ時代を偲ばせるヴィエンヌの街がすぐ対岸。
これら多数のリューディには大きな品質の差があるといわれています。急斜面にある畑と、平坦な土地の畑では違いが出るのも頷けます。ブリュンヌ、ブロンドにランドンヌと言った誰もが知るリューディは別として、畑のブランドや品質が必ずしも高く評価されていない畑のブドウで、単一畑のワインをリリースするのは難しそう。新たに、等級制度を持ち込むのは、地域の争いの元になりかねません。
5. コート・ロティの復興:ギガル
1946年創業とまだ歴史が浅い生産者、ギガル。ギガルの活躍がコート・ロティの復興に、大きく貢献しました。テロワール毎の単一畑のワイン造りと効果的なブランディング。そして、新樽を積極的に活用した手法が、ワイン評論家、ロバート・パーカーの後押しも受けて、国際的な評価を得たのです。
それまで、生産者元詰めのワインは殆どなかったコート・ロティの潮目が変わりました。ギガルの新しいワインスタイルの人気がコート・ロティ全体の知名度向上にも貢献したのです。産地消失の淵まで行ったコート・ロティは、今や、栽培面積は、327ヘクタール。エルミタージュを軽く追い越したのです。
2代目のマルセル・ギガルが、中興の祖。単一畑の最高級キュヴェ、コート・ブロンドの「ラ・ムーリンヌ」、「ラ・ランドンヌ」、コート・ブリュンヌの「ラ・テュルク」の、いわゆる「ラ・ラ」シリーズを世に出します。新樽をふんだんに活用した長期熟成のスタイルが有名になりました。
その樽へのこだわりは、傘下に収めたシャトー・ダンピュイに、2003年に樽工房を開設する迄に至ります。トロンセなどのオーク材の有名産地からの調達も自社で行って、228リットルの新樽を造っています。
「ラ・ラ」シリーズの第4弾となる、「ラ・レナ―ル」が、2026年より販売されます。コート・ブリュンヌとコート・ブロンドの間にあるレナ―ル川から名前を取ったワイン。2010年からリューディのフォンジュアンで新植を進めていました。依然として、ギガルの精力的な活動は、コート・ロティの名声に寄与しているのは間違いありません。
ギガルは、コート・ロティの生産者たちを次々と傘下に収めていきました。ギガルと同様に、ネゴシアンであった、1781年創業の老舗、ヴィダル・フルーリー。荒廃したコート・ロティを、執念を持って、再興した一社です。創業者のエティエンヌ・ギガルが、自社を立ち上げる前に、働いていた経緯が有ります。同社の存続が困難になった、1984年に、2代目のマルセルが救済。ギガルの傘下に入りました。
更には、1995年にシャトー・ダンピュイ、そして、2006年には栽培面積でギガルに次ぐ、ドメーヌ・ド・ボンスリーヌにも資本参加。2017年にはシャトー・ヌフ・デュ・パプの生産者も傘下に収めて、ローヌ全域に一大帝国を築きました。現在は、3代目のフィリップが牽引しています。
影響力は強く、そのワイン造りの手法が、コート・ロティに広まっています。一つの代表例は、ジャン・ミッシェル・ゲラン。よほど素晴らしいと思われるヴィンテージ以外は、果梗の成熟度を考慮して、完全除梗を信念にしています。100%の新樽を使用するキュヴェもあります。
100%の新樽使用は稀にせよ、今のコート・ロティでは、一定の新樽活用と除梗比率を採用する事は、当たり前になっています。
高名なワイン商で、作家のカーミット・リンチ。その著書、「最高のワインを買い付ける」では、ギガルの商才を賞賛しながらも、伝統的なコート・ロティのワインが忘れ去られるのを危惧しています。その一方で、第二次大戦後、ブドウ樹がすっかり消え去ったランドンヌの再生に、エティエンヌ・ギガルが大きな貢献をしたことも確かです。
大雑把に言えば、全房発酵か除梗を行うのか、新樽を活用するのか、単一畑で行くかブレンドかという点で、伝統派の影響が大きいのか、ギガルの変革がもたらしたモダン派なのかと分類できます。
と言っても、今や、モダン派が時代の趨勢。バローロ・ボーイズで有名なイタリア・ピエモンテのバローロで、伝統派とモダン派が拮抗して、愛好家も含めて、喧々諤々。結果として、中庸な所で纏まって行ったのとは、様子が異なります。コート・ロティではモダン派が席巻。勝負あったかの感があります。
6. 伝統派の騎士を継ぐ者たち
ただ、伝統派の基盤があってこその、ギガルのブレークだったことは忘れてはいけません。今はなきドメーヌで、伝説となった、マリウス・ジャンタ―デルビュー。
義理の兄弟の、マリウス・ジャンタとアルベール・デルビューがこの産地の厳しい時代を支えた伝統派の象徴です。オークションにでも出品されないと、手に入りませんが、数十万円の価格になります。でも、彼らのワインが造られていた1960年代から90年代には商業的に成功していたわけではなく、野菜も栽培して凌いでいました。
他には、ドメーヌ・ジル・バルジュ、ヴィニョーブル・レヴェや除梗機さえも持っていないという、ドメーヌ・シャンペが筋金入りの伝統派です。いずれも、所有する畑は10ヘクタールにも満たない小さな生産者で、コート・ロティのワイン造りの趨勢に影響を与えるような規模ではありません。
マリウス・ジャンタとデルビューが活躍していた時代。漸く、除梗機が普及してきたものの、伝統的な全房発酵を、敢えて変える必然性は感じられませんでした。
全房発酵には良さもありますし、リスクもあります。果梗が幾らかアルコールを吸収。発酵中の果帽密度も下がり、ワインにフレッシュさを与え、香りの複雑性も表現。こうした、前向きな捉え方をする生産者もいますし、収斂性を上げるにすぎないと異を唱える生産者もいます。
伝統派の血筋を引いた次なる世代は、時代の流れの中で、モダン派のワイン造りを徐々に取り入れていきます。中核になるのは、ルネ・ロスタン、オジェ、そしてジャメ。伝統派の流れを受け継ぎながらも、時代の移り変わりも受け止めています。
マリウス・ジャンタ―デルビューの畑を引き継いだ、ルネ・ロスタン。マリウス・ジャンタの甥であり、アルベール・デルビューを義理の父とする、正に伝統派を継ぐ血統です。
添加物の使用や、新樽比率を上げることは、テロワールの表現を損なう。ワイン造りは、最低限の人的介入に抑えたいと考えるのは自然な流れです。でも、キュヴェによっては、除梗を取り入れます。また、イタリア・ピエモンテのバローロ・ボーイズの中核人物、エリオ・アルターレが採用したことで有名な、回転式発酵タンクも活用。新しい世代には、変革の波が押し寄せています。
マリウス・ジャンタの区画のブドウから造るワイン、「コート・ブリュンヌ」は、2013年ヴィンテージから発売されました。相続した時には畑の状態が悪く、改植を実施。ブドウ樹の生育を待って、満を持してのリリースです。
老舗のオジェの家督を継いだステファン・オジェ。ブルゴーニュのボーヌで栽培、醸造を学びました。多数のリューディをブレンドしたワインも造る一方で、単一畑のワインも造ります。以前は、ギガルやシャプティエにブドウを売却していましたが、自社でのワイン造りに注力するようになりました。
ステファンは、ワイナリーを改装すると、新樽活用や、除梗の採用、数多くのタンクを使って、細かく小区画別に発酵を行うと言った具合に、ワイン造りを変化させています。
ジャメは、1950年にジョセフ・ジャメが設立。当時はネゴシアンにブドウを売却していましたが、1976年からドメーヌ元詰めです。殆どの畑をアンピュイ村に所有していますが、果梗が良く熟せば、100%全房発酵。そして、20近い区画の個性を活かした、ブレンドを重要視した、伝統的なワイン造りです。それでも、新樽を20%程度は使います。
父ジョセフから引き継いだ、ジャン・リュック・ジャメとジャン・ポール・ジャメの2人兄弟が、長らく一緒にワイン造りをしてきましたが、2013年に2人は別々の道を歩むことに。畑が分割され、ジャン・リュック・ジャメは自身のワイナリーを設立。以前よりも、全房の比率を落とし、樽熟成期間が短くなったと言われています。
世界的な潮流は新樽控えめ。フレッシュな果実感を訴求して、全房発酵も適度に活用するワイン造りの手法が最近の傾向です。一方、北ローヌでは、産地の伝統の中で、振り子の針が、行きつ戻りつしているのが、垣間見えます。その中で、伝統派の血筋を引く生産者たちが、基本姿勢はブレることなく、しかし、上手く時代の流れに乗って、安定したワイナリー経営ができると良いですね。
7. 持っておきたいコート・ロティの勝負ヴィンテージ
飲んでおきたい、2000年辺りからの良いヴィンテージは、1999年、2001年、2005年、2010年、2015年。ゆっくりと熟成が進んで、飲み頃を迎えた、2005年以前のヴィンテージは、ワイン会などの機会で味わいのわかる愛好家でシェアして楽しみたいですね。
乾燥した天候の暑い夏、夜は日較差に恵まれた2015年は最高に素晴らしいヴィンテージ。2010年も花ぶるいの被害で収量が落ちたものの、涼しい夏のお蔭で、長い成熟期間が取れました。強い骨格を持った長期熟成が楽しみなワインになっています。どちらも、勝負ワイン。1本手に入れて、セラーに暫くしまっておきたいところです。
8. コート・ロティのまとめ
シラーの生産者の間では、必ず引き合いに出され、一目置かれる、エレガントなコート・ロティ。最近では、果実味豊かな、オーストラリアのシラーズや、同じ北ローヌでも、クローズ・エルミタージュを気軽に楽しむ方も多いと思います。でも、時には、クラシックな、規範となるようなシラーの表現、コート・ロティを、襟を正して味わうのも、良いものです。アカデミー・デュ・ヴァンでは、北ローヌのワインも楽しめる、産地に特化したStep-IIの他、さまざまなコースで皆さんをお待ちしています。