葉山亭考太郎の新作古典落語「2021年版長屋の花見とクリスタル・ロゼ」

2021年版長屋の花見とクリスタル・ロゼ

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葉山亭考太郎の新作古典落語「2021年版長屋の花見とクリスタル・ロゼ」

今の若い方は、アパート、タウンハウスとかマンションなんて言うハイカラなところに住んでらっしゃいますが、昔は長屋なんてぇものがありまして、庶民はみんなそこで暮らしていたそうでございます。家賃を何ヶ月も溜め込んでるくせに、大家より威張っている店子(たなこ)がたくさんいました。

 

大家「八っつあん、いるかい? 大家だけど」

八公「いませんよ。今、留守です」

大家「留守ですったって、そこにいるじゃあないか」

八公「気のせいです」

大家「何を馬鹿なこと言ってんだい、オマイさんは。そこに見えてるじゃないか。溜まった家賃を取り立てに来たんじゃないんだよ、今日は」

八公「それでしたら、大家さん、こんちは。ご機嫌いかがですか?」

大家「現金なヤツだ。話ってのは、ほかでもない、今から景気付けに長屋でパーッと花見に行こうと思うんだけど、どうだね。去年は、コロナウィルスで満足に花見ができなかったからね、厄落としでパーッと行こうじゃないか」

八公「花見かぁ、去年はじっとこのボロ家で自粛してたからな。行きたいとこだけど、このケチで因業な大家のことだから、飲み代とかテーブルチャージとか、税金サービス料込みでとか言って、俺達からふんだくろうってんだなぁ。えー、大家さん、今日は、ちょっと取り込んでまして、ちょいと都合が悪いんすよ」

大家「おやそうかい、あんまり忙しそうには見えないけどね」

八公「今、このリーデルのソムリシリーズのグラスの中のシャンパーニュの泡の数を数えてるとこで、忙しくってたまんねぇ。17,948個、17,949個、17,950個……」

大家「ありゃ、『日本野鳥の会』みたいに、両手にカウンターまで持って。オマイさんはいつも、暇なことを一生懸命やってるねぇ。それじゃぁ。小学校のPTAオバサンみたいだな。シャンパーニュの泡の数は2億5千万個というから、その分じゃ二、三日はかかりそうだ。そうかい、そうかい、そりゃぁ残念だねぇ。長屋の皆さんと花見に行って、近江屋さんからいただいたクリスタルのロゼとキャビアを振舞おうと思ったんだがなぁ。去年の分も、陽気にパーッと派手に騒ぐつもりなんだけど、都合が悪いってんならしょうがない」

八公「……と思ったんすけど、残りは明日数えやす」

大家「明日になったら、泡が出ないだろう?」

八公「いいんです。どうせ暇つぶしですから。今日は別の『本物』の暇つぶしが出来やしたからね。死んだ気になって、クリスタルとキャビアにお付き合いします」

大家「おいおい、大袈裟だねぇ」

 

という訳で、例によって、大騒ぎをしながら長屋の連中が列を作って近所の公園へ花見に出かけました。公園の桜は満開。去年の「花見自粛の恨み」を晴らすように、人が大勢、繰り出してまして、あちらこちらで飲めや唄えの大騒ぎを広げています。

 

大家「今月の月番は誰だ? 留さんと熊さんかい。じゃあ、留さんは、そこの桜の根元にペルシャ絨毯を敷いておくれ。絨毯がない? オマイさんの足元に巻いてあるだろ。なに? これは御座です? いいんだよ、それで。ウチじゃ昔からペルシャ絨毯と呼んでるんだ。熊さんは、この風呂敷包みにシャンパ―ニュとキャビアが入っているから、出して並べておくれ。グラスも忘れちゃいけませんよ」

熊公「大家さん、ずいぶん気張りやしたねぇ。クリュグ、クリスタル、ポメリー。ロゼが3本、ずらーっと並んで、すごいねぇ。ところで大家さん、ワインのロゼは安いのに、何でシャンパ―ニュのロゼはこんなに高いんです?」

大家「ロゼ・ワインにもイイのが沢山あるんだよ。プロヴァンスの『タンピエ』とかスゴイのがあって、仏蘭西の花の都の『巴里(パリ)』じゃあ大人気なんだけどねぇ。でもお江戸じゃぁ、『赤でもない、白でもない、中途半端だぁ』てんで、今一つ、人気がない。ミニスカートでもない、ホットパンツでもない『キュロット・スカート』みたいなもんだな。人気がないんで高く売れないのが辛いところだ。でもなぁ、シャンパ―ニュの場合は事情がちょいと違うぞ。ロゼは元々数が少ないんだ。全体の20分の1くらいしか作ってない。それに、キレいに桃色にするのは難しくてねぇ。稀少価値と技術料の関係で値段が高いんだろうなぁ。それに、もともと、ロゼのシャンパーニュは接待や逢引きの時に飲むもんだってシャンパーニュの生産者が、亜米利加の『紐育(ニューヨーク)』へ乗り込んで、そんな話を広めちまったんだ。取引先の旦那衆や、初回に花魁と会う時には、ロゼ・シャンパーニュを開けて、『あなた様には、いくらでも小判を積みますよ』と景気のいいとこを見せなきゃってえことでな。見栄っ張りの江戸っ子も、その神輿に乗っちまったという訳さ」

熊公「背中にコケが生えるくらい長生きしてるだけあって、物知りだねぇ、大家さんは。そんでもって、変なことをお伺いいたしやすけどね、このポメリーのロゼにはキャップフォイルがついてますけど、なんで、クリュグとクリスタルはストッパーで留めてあるんです?コルクを抜いちまったんすか? 普通は、飲む寸前に開けるもんでやんしょう?」

大家「痛いところを突いてくるのぉ。こちらにもちょっと事情があってなぁ……」

熊公「何です、その事情ってぇのは?」

大家「まあ、その経済的な事情というか、ない袖は振れぬというか……」

熊公「なんか威勢が悪いねぇ、大家さん。まあ、いいや、クリュグのロゼを開けよう。プスゥー。何だい、ウチの娘が風呂で屁こいたみてえな景気の悪い音だねぇ、こりゃぁ」

大家「仕方がない。ノンビンのシャンパンに、二週間前に開けたブルゴーニュの赤をちょいと混ぜたんだ。この前行った表参道の『アンカフェ』でクリュグの空瓶をもらってきて、そこに詰めた」

熊公「するってえと何ですかい、これってニセのクリュグロゼですかい? なんとも因業な大家だねぇ」

大家「面目ない。本物は一本七両二分もするんでな」

熊公「それじゃあ、間男代と同じだよ。でも、シェリー香があって、クリュグの雰囲気は出てる。いい腕してるよ、大家さん、シェフ・ド・カーヴになれますぜ」

大家「喜んでいいのか、悲しんでいいのか、わからなくなった」

熊公「てことは、クリスタルのロゼも紛い物ですかい?」

大家「まぁ、そういうことだなぁ。カーバにボルドーの赤を少し混ぜた」

熊公「じゃあ、本物はってえと、キャップフォイルのついているポメリーのロゼだけですかい?」

大家「そういうことになるか。でもなぁ、ポメリーのロゼはなかなかイイぞ。大抵のロゼは後で赤ワインを混ぜるんだが、ポメリーはちゃんと皮ごと漬けたマセラシオン方式の正統派だ。倍の値段のボランジェ・ロゼよりウマいとワシは思うぞ。井戸の底にずっと入れといたから、保存状態は完璧だよ」

熊公「じゃあ、大家さん、つかぬことをお伺いしやすが、このキャビアはどうなんです?イクラに黒い色を着けたとか?」

大家「イクラではない、ランプフィッシュの卵だ。ニセ物じゃぁないぞ、代用品と言ってもらいたいね。一瓶480円だが、この方が本物より塩気やコレステロールが少なくって、身体にずっといい。こっちの方が好きだってえ旦那衆も、お江戸に大勢いるからな。ワシもそう思う」

熊公「何だい、ニセ物、代用品のオンパレードですかい。言うこたぁあ景気がイイけど、出す物はしみったれてんねぇ」

大家「まあ、そう固いことを言わないで、クリスタルのロゼでも一杯どうだい、熊さん?」

熊公「じゃあ、その、カタルニアとブルゴーニュのカクテルを少しいただきます。少な目にお願いしやすよ……おっとっとっと、少な目にって言ってるのに、そんなたくさん入れて。あっしに恨みでもあるんすか、大家さん」

大家「恨みなんかあるものか。私の気持ちだよ、熊さん。気持ち良く飲んどくれ」

熊公「ああ、腹が張って、屁が出そうです」

大家「毎日飲むにはカーバはいいぞ。オチャラケ・ワイン道の葉山考太郎も週に3本飲んでいるくらいだからなぁ」

熊公「葉山考太郎? あんなイイ加減なスットコドッコイ野郎のやるこたぁ、あてになりやせんぜ」

大家「ま、それもそうだな」

留吉「えー、大家さん」

大家「どしたんだい、留さん? 大きな声を出して」

留吉「そこの、クリスタルのロゼをこっちへ回していただけませんか? やっぱり、桜の花にゃあ、クリスタルのロゼが似合いやすねぇ」

大家「留さん、いいねぇ。聞いたかい、みんな、ええ? そら、まわりの人が皆こっちを見てるよ。お忍びのお大尽が貧乏人の格好で花見をするてぇ江戸っ子の粋な趣向だと思われてるんだろうね」

留吉「あっしたち、お忍びにしちゃあ、本物くさすぎやしませんかねぇ。あっしの貧乏は年期が入ってやすよ。生まれてこの方、なんてもんじゃなくて、紫式部の平安時代から41代も続いてる由緒ある貧乏人だもんね。風呂の残り湯を洗濯機に入れて、十回使って、捨てるのもったいないから、そんとき生まれたあっしの産湯にしたってぇから。危うく乾燥機に入れられそうになっちまったそうで」

大家「そりゃぁ血統書付きのやんごとなき貧乏人だな」

留吉「ところで、大家さん。このクリスタルのボトルはホント、重いっすね」

大家「留さん、いいところに気が付いたねぇ。シャンパ―ニュのボトルで一番重いのがこのクリスタルだ。他のボトルに比べると、二割方重い」

留吉「するってぇと、昔の中国産松茸みたいに釘が埋め込んであるんですかい?」

大家「馬鹿を言っちゃあいけないよ、と言いたいとこだが、ちょっと正解に近いな。釘を隠せないように、そんなボトルにしたんだ」

留吉「と言いやすと?」

大家「シャンパ―ニュのボトルってなぁ、普通は上げ底になってるだろう。でも、ロシア皇帝のニコライ二世はそれが気に入らない」

留吉「皇帝ってのは大金持ちだと思ってたけど、上げ底はイカンなんて、相当ケチだね」

大家「ケチで言ってるんじゃぁないんだ。命がかかってるんだ」

留吉「命がけ?」

大家「そう、昔の王様にゃぁ、食事はけっこう危ない瞬間なんだ」

留吉「ウチも危ないよ。よそ見してると、カカアがオレの秋刀魚、持って行きゃあがる」

大家「そうじゃぁない。いつ毒を一服盛られるかわからないってぇことだ」

留吉「あっしも、5日間熟成させた鯖の刺身を食ったら腹が痛くなっちまった。カカアが毒を盛りやがったに違げぇねぇ」

大家「そりゃぁ、食中毒だよ留さん。そんな腐った物は猫でも跨いで通るよ、普通は。気ぃつけなよ。とにかく、シャンパ―ニュ・ボトルの上げ底には、毒を隠しやすい。爆弾を仕込まれるかも知れない。ガラスが緑色になってると、何か隠されても見えないだろ。だから皇帝が命令したんだ。『透明のガラスで底の平らなボトルに入れよ』ってね」

留吉「毒や爆弾がコワいんなら、皇帝さまが自分でシャンパ―ニュを注げばいいんじゃねぇですかい」

大家「だから、オマイさんは物を知らねぇて言われるんだよ。王様はそんなことをしちゃあいけねぇんだ。全部家来にやらせる」

留吉「こりゃ奇遇だね。ウチじゃあ、あっしがカカアのご飯をよそってるし、腰巻も洗濯してやすぜ」

大家「そりゃぁ、尻に敷かれてんだよ、留さん。ボトルの底を平らにするのは、大変なんだよ。炭酸物は何でもそうだけど、底にゃぁ大きな圧力がかかる。コーラのボトルも底を上げて補強してあるだろう。ダムは、水圧を両側の河岸に逃がすようにU字型に凹ませてあるのと同じだ。皇帝は、『凹んでいない一直線のダムを作れ』って言ったようなもんだ。圧力に耐えられるよう、底を分厚くしなきゃならない。そこでできたのがクリスタルのボトルだ。これを見ると、王様も気楽そうに見えて結構大変なんだと同情しちまうねぇ」

留吉「うちのカカアも気楽そうに見えやすが、ホントに気楽なんすよ、大家さん」

大家「あんたもそうだよ、留さん。結局、皇帝はスターリンの起こしたロシア革命で追放されちまう。『民衆の怒りは毒よりも強し』ってことだなぁ」

留吉「いよっ、さすが、大家さん、因業のくせに、いろいろと物知りだねぇ。で、クリスタルはどうなったんです?」

大家「大得意様のロシア皇帝がポシャッたのは、ロデレール社には大打撃だったねぇ。半分倒産しかけたほどだ。でもねぇ、スターリンも、労働者の味方と言いながら、影でこっそりクリスタルを飲んでたらしい」

留吉「うちのカカアも、台所であっしの酒をこっそり飲んでるみたいなんすよねぇ」

大家「昔のロシア向けのシャンパーニュは、今じゃ考えられないくらい甘かったんだよ。」

留吉「大家さんは、馬鹿息子に甘いけど、それより甘いんですかい?」

大家「ドサージュで入れる砂糖が1リットルで200gなんて物もあったらしい。こうなると、『人類で一番甘い飲食物』だな。言っときますけど、留さん。アタシは、ウチの『与一郎』には厳しく辛口に躾けてるぞ。ローラン・ペリエの極辛口のウルトラ・ブリュットを無理やり毎日1本飲ませているくらいだからな」

留吉「そりゃ、飲むシャンパーニュは超辛口だけど、躾けは大甘だね。そんなことやってると、大家さんちの倅(せがれ)はスターリンみたいな大酒飲みの大馬鹿者になっちまいやすぜ」

大家「スターリンがそんなに大酒飲みでお馬鹿だとは聞いたことがないな」

留吉「なんでも、スターリンは毎日、クリスタルとムートンとモンラッシェを飲んでたそうでやんすよ。一般大衆は配給で週に1本しかワインを飲めない。で、ある男が頭にきて、斧を持ってクレムリンを襲ったそうで。『スターリンはアル中の大馬鹿者だぁ』って叫びながら、宮殿のガラス窓をぜーんぶ残らず叩き割ったらしいんすよ。もちろん、人民警察に逮捕されて人民裁判に掛かって、判決が30年と1週間のシベリア流刑が決まったそうで」

大家「30年と1週間とはえらく中途半端だな。何でそうなったんだい?」

留吉「1週間は『器物損壊罪』で、30年は『国家機密漏洩罪』だったそうで」

大家「おまいさんも、馬鹿々々しいことよく知ってるね。とにかく、クリスタルの透明の底厚ボトルにも、ロシアの歴史があるってことだな」

留吉「それで解かった。うちのカカアの尻の皮がだんだん厚くなってきたのは、オレを尻に敷くためだったんだ」

2020.05.08


葉山考太郎 Kotaro Hayama

シャンパーニュとブルゴーニュとタダ酒を愛するワイン・ライター。ワイン専門誌『ヴィノテーク』等に軽薄短小なコラムを連載。ワインの年間純飲酒量は 400リットルを超える。これにより、2005年、シャンパーニュ騎士団のシュヴァリエを授章。主な著書は、『ワイン道』『シャンパンの教え』『辛口/軽口ワイン辞典(いずれも、日経BP社)』『偏愛ワイン録(講談社)』、訳書は、『ラルース ワイン通のABC』『パリスの審判(いずれも、日経BP社)』。

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