カフェとビストロは、フランス人とワインをつなぐ存在。カフェ文化、パブリックライフ研究家の飯田美樹が、前後編にわたって、その魅力を伝えます。
フランスというと、優雅だが、すまし顔で取っつきにくい印象を抱く人も多いだろう。フランス料理に格付けワイン、シャンパーニュにブルゴーニュ。エルメスにルイ・ヴィトン、シャンゼリゼにカフェ・ド・ラペ。日本におけるステレオタイプのフランスのイメージは何年経ってもあまり変わらず、実はパリにも心優しいごく普通の人がいることや、フランスにも高品質でリーズナブルなワインがあると訴えてもなかなか耳を貸してもらえない。
とはいえ、大抵のフランス人にとって高級ワインやレストランは特別な存在である。私がパリに行った際、日本のガイドブックに掲載されている中ではリーズナブルな店でさえ、友人たちには「申し訳ないけどその店は高すぎる。他の店じゃだめ?」と言われてしまう。仕方ないので一人でガイドブックに掲載された店に行くと、まわりはほとんど外国人で、食事に感動することもなく、費用対効果の低さばかり感じてしまう。外国人観光客を相手にしていた高級フレンチはコロナ禍で大半の顧客を失い、フランス人向けに値段を半分にした店もある。地元の人はそんな店に普段から行かないからだ。外国人に有名なワインや店が皆、地元の人に愛されているかといえば、そんなことはないのである。
文・写真/飯田 美樹
【目次】
1.フランスのカフェ文化
2.「コンヴィヴィアリテ」というキーワード
3.ビストロと「コンヴィヴィアリテ」
1.フランスのカフェ文化
ではそんなパリジャンやパリジェンヌが真に愛する場所はどこだろう?それこそが街角のカフェやビストロだ。パリに留学していたころ、世界のエリートと自分の圧倒的な差に打ちのめされ、避難所としてのカフェに1日3回通って以来、私はカフェ文化に興味を抱き、カフェの社会的役割について研究・発信を続けてきた。フランス人にその話をすると大抵彼らは「へぇ、カフェ?面白いの?」という顔をする。彼らにとってカフェは日本の緑茶なみに当たり前で、とくに気にもとめない存在なのだ。実はカフェの本場、パリの一番大きな書店に行っても、カフェ巡りのガイドブックもなければ、カフェの歴史について書かれた本すらほぼ存在していない。
ところがコロナ禍でカフェやビストロが約半年に渡って閉鎖されて以来、フランス人もカフェがどんなに重要な場であるかを痛感したようだ。空気のように当たり前の存在とはいえ、オープンカフェやビストロで時を過ごし、自由闊達に語り合う時間は、彼らにとってかけがえのないものなのだ。
私が留学していた2001年は東京でカフェブームが起き、日本人向けの図書館に送られてくる”hanako”などの雑誌を眺めては「日本のカフェ、かっこいい!」と憧れを募らせたものだった。当時のパリのカフェは日本人のイメージとは裏腹に、たいしてお洒落でもなければカウンターの足下は灰皿のようにタバコの吸い殻だらけ。日本のお洒落なカフェに期待を膨らませ、帰国後に巡ってみても次第に何かが違う、大切な何かが欠けていると感じ始めた。そしてその何かというのは「出会い」なのだと気がついた。
そう、パリのカフェには出会いがあったのだ。
隣に座った人との何気ない会話。それでどんなに孤独から救われたことだろう。私が通っていたアールヌーヴォー調の古いカフェでは、隣のおじさんが私に向かって「〜が寒いね」と言っている。でもその「〜」がわからない。そして彼は私の分厚い紙の辞書を手に取って、”courant d’air”(クランデール)を指差した。彼は「隙間風が寒いね」と話しかけてくれていたのだ。私はこの「クランデール」という、それ以降一度も使用していない単語を一生忘れないだろう。それくらいカフェでの出会いは心に焼きつく風景であり、そこでのちょっとした会話は心が通った瞬間として記憶に深く刻まれる。
2.「コンヴィヴィアリテ」というキーワード
私はその後フランス発祥のサイト”Paris-Bistro.com“の日本版代表として、フランス人ジャーナリストとともに、そして時には一人で数々のワイン産地を取材に行った。なぜカフェの研究をしていた私がワインに関わり始めたかといえば、フランスにおいてカフェやビストロとワインは切っても切り離せない存在だからである。フランス人はカフェのことをビストロと呼び、両者の区別を明確にできる人はほとんどいない。あえて区別をするとすれば、レストラン寄りのビストロは営業時間が主に昼と夜であり、コーヒーを飲むためだけには入れない。一方でカフェ寄りのビストロは朝から夜まで通しで営業しており、様々な料理が味わえるものの、コーヒー1杯で居座ることも可能である。
私は取材を通じて多くのワイン生産者と出会うなか、彼らにはお気に入りの決め言葉があるのに気がついた。それが「コンヴィヴィアリテ(Convivialité)」である。「コンヴィヴィアリテ」やその形容詞の「コンヴィヴィアル(Convivial)」というのは、訳者泣かせで、バシッと対応する日本語が存在していない。しかし生産者たちはここぞという大事な場面にこの言葉を持ってくる。「我々の目指すもの、それはコンヴィヴィアルな雰囲気なのだ!」というように。
辞書を引くと「コンヴィヴィアリテ」は「共生、共歓、会食趣味」、「コンヴィヴィアル」は「ともに飲み食いするのを楽しむ、宴会好きな」と、あまりピンとこない説明が書いてある。私はフランス語と英文読解を教えているが、外国語において大切なのはニュアンスを理解することである。私が知る限りこの言葉の正しい日本語訳に近いのは「和気あいあいとした雰囲気」だ。だが「コンヴィヴィアリテ」はフランス食文化の真髄と言えるほどの深みを持ち、フランス人にとって「そう、まさにそれ!と」心に訴えかける言葉である。一言で言い表せないこの言葉、具体的にはどのような雰囲気を指しているのだろう。
「コンヴィヴィアリテ」や「コンヴィヴィアル」はほとんどのワイン生産者が口にする一方で、ビストロにも通底するテーマである。ビストロにおける「コンビヴィアリテ」の中心にあるのは他者との出会い、美味しい食事、そしてワインの存在である。人との出会い、食事、ワインとの相乗効果で生み出された軽やかで愉快な会話、笑顔が溢れて記憶に残る時間、それが「コンヴィヴィアリテ」だといえる。
日本ではカフェやワイン、フランス料理というと、コーヒーやワイン、食事の質さえ良ければいいと思われがちである。喫茶店でも店主こだわりの濃いコーヒーに砂糖やミルクを入れずに静かに飲めだとか、コロナ禍で日本中の子供達は給食や弁当の「黙食」を強いられている。そこに本当に食の喜びなどあるのだろうか?残念ながら、日本では食事とともに会話を楽しむことにあまり価値が置かれていないのかもしれない。とはいえフランスの食文化はその逆である。食やワインは重要とはいえ、もっと重要なのは、それらがよい会話や出会いを促し、幸福な時間を生み出すことなのだ。あくまでもワインは補佐的存在だ、と多くの生産者は口にするが、主役は食や食を楽しむ人であり、もっといえばそこから生み出される豊かで本当に幸せを感じる時間こそ、彼らの追求するものなのだ。
3.ビストロと「コンヴィヴィアリテ」
昔なからのビストロはまさにこの「コンヴィヴィアリテ」を体現する空間だ。19世紀末ごろに登場した労働者向けのビストロ、「カフェ・シャルボン(Café Charbon)」は、炭を売る店として誕生し、旦那さんが炭を売って運んでいる間、小さな店のカウンターで奥さんがワインを出していた。ワインだけじゃ物足りないなら、サッと提供できる家庭料理も。そんな訳で煮込んでおいてすぐ出せるものや、ちょっと焼いたら出せる鴨のコンフィやステーキなどがビストロの定番料理となっていく。パリによくある、テラス席とカウンターがあり、料理も食べられる大きなカフェは、労働者向けの「カフェ・シャルボン」とブルジョワ向けの高級なカフェが融合したものだといえるだろう。
朝の出勤前にカウンターでエスプレッソとクロワッサンを食べ、常連や主人と挨拶し、そこで元気をもらって職場へ急ぐ。昼食を食べに、仕事の打ち合わせにビストロへ。仕事帰りにカウンターでアペリティフとしてのワインや生ハムをつまみながら、そこで出会った誰かと話し、テーブルでの食事に移る。フランス人に活力を与えてきたのはそんなビストロでの出会いや「コンヴィヴィアリテ」、そして出会いや会話の円滑油として大いに活躍してくれるワインだったのだ。
そんなビストロやカフェで、彼らはシャンパーニュや高級ブルゴーニュを飲むのではなく、店主おすすめのリーズナブルなフランスワインを楽しんでいる。多くの店ではワインはグラスとボトルの二者択一でなく、小さなカラフで頼むこともできるため、2〜3人での食事にごく気軽にワインを合わせやすい。赤で特に目にするのはボージョレやクリュ・デュ・ボージョレ、ボルドー右岸のコート・ド・ブールやコート・ド・ブライなどのリーズナブルだが高品質で、心地よく舌を快活にしてくれるワインである。
パリのエスプリの真髄といわれるビストロだが、2015年のテロ以降、外食を避ける人が増えて客足が減り、個人経営の店は減る一方だ。それを守るために「パリのビストロとカフェテラスを世界遺産に」という運動も起こっている。彼らにとってごく当然で、生活に根付いたビストロやカフェ文化。そこでの見知らぬ人との出会いや社会階層、国籍を超えた生身の出会いは時に人生を変える程の力を持っていた。
人の会話や気楽な出会いを促す円滑油としてのワインやアルコールがパリのカフェになかったら?パリのカフェからあれほど多くの芸術的、社会的運動は起きなかったかもしれない。
飯田美樹/Miki Iida
カフェ文化、パブリック・ライフ研究家。東京大学情報学環 特任助教。
早稲田大学在学中に、環境活動をする若者が集う場づくりを通じて、社会変革の場とは何かに関心を抱く。交換留学でパリ政治学院に行ったものの、世界のエリートたちとの圧倒的な差を感じ、避難所としてのカフェに1日3回通う。その頃、パリのカフェはフランス革命はじめ、社会変革の発端の場であったと知り、研究を始める。帰国後、京都大学の大学院で研究をすすめ、「天才がカフェに集ったのではなく、カフェという場が天才を育んだのでは」という視点で2008年に『caféから時代は創られる』(クルミド出版:青山ブックセンター本店、Bunkamuraナディッフモダン、代官山 蔦屋書店、Amazonなどで販売中)を出版。Paris-Bistro.com 日本版代表として、フランスのカフェ、ビストロ、ワインや食文化に関する記事の執筆や翻訳を行っている。
現在は、自分らしくリラックスした時を過ごせるインフォーマル・パブリック・ライフの重要性と、カフェから街が創られるという視点で2冊目の本を準備中。
日本と世界との情報格差をなくし、かつてのパリのカフェのように世界の知に触れ、議論できる場を創ろうと、人生が変わる英文読解 ”World News Café”をオンラインで開催中。
https://www.la-terrasse-de-cafe.com/