伊東道生の『<頭>で飲むワイン』Vol.114

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ボーヌavec コロナ


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伊東道生の『<頭>で飲むワイン』Vol.114

コロナでおたおたするうち、もう11月です。

ボジョレー・ヌーヴォーとオスピス・ド・ボーヌのオークションの季節です。

オークションも様変わりして、なんと一本からでも購入できるようになっているようです。

個人で樽買いは確かに難しい。何人か集まって買ってみたい気もしますが。

3本以上購入で木箱入り、おまけにエチケットに名前も入れてくれるとか。

現場での催し物自体は延期されるというニュースも入っていますが、ネット・オークションは可能ですからね。

RVFのネットを見ても、これについては10月末段階では新しいニュースは入っていませんでした。

最近のフランスの情勢をみると、かなりの困難も予想されますが、無事に行われることを祈っています。

オークションのほうは、日本からもお手軽にできるようです。11月15日までですので、ご注意を。

https://shop.home-kitchen.jp/collections/hospice-de-beaune

英語での案内もあり、これもわかりやすいです。https://hospices-beaune.com/en/

 

私が始めてボーヌに足を運んだのは、1980年代半ばの夏でした。

その頃はフランス国鉄の超特急TGVは、まだボーヌには停車するものはなく、ディジョンで乗り換え、急行か各駅?のようなローカル線で行った覚えがあります。

ボーヌの町自体は、とても小さくて、でも感じの良い町です。

おまけにディジョンから、とくにリヨンまで、フランスでも有数のグルメ地域です。

今でも、記憶に残っているのは、スイーツやクロワッサンが独特で、フランスでもっともおいしいものの一つ、と思いがけない発見をしたことです。

もう、今はないのかなあ。観光の目玉には、気球に乗って、空から葡萄畑めぐりというのもありました。

 

ボーヌも、ヨーロッパの典型的な城壁で囲まれた町で、城壁もしっかり保存されています。

そしてこれも典型的で、駅と旧市街地がけっこう離れています。これには理由があります。

 

フランスでは、19世紀半ばくらいから鉄道が広がり始めます。

しかし50年頃でも、パリ近辺は、南西はロワール、北東は海岸まで延びていますが、ボルドーを含め南西部や中央部はまだありません。

南部のマルセイユ、ニーム、アヴィニヨンはその地域だけで結ばれ、ブルゴーニュ地方ともつながっていませんし、リヨンとディジョンは、それぞれの圏域でほんの少し広がっているだけで、両都市は分断されたままです。

路線は総計で3千キロにすぎません。

それがやがて、70年には1万7千キロ、19世紀末には4万5千キロと飛躍的に伸びます。

パリとブルゴーニュも鉄道で結ばれ、かつてのセーヌ川を利用した運搬を鉄道が行い、パリ南西部のベルシー近辺にワイン倉庫が建ち並ぶようになります。

今では、その倉庫街も再開発されて洒落たお店が建ち並ぶ街になっています。

 

話がずいぶんそれましたが、鉄道の敷設、延長には、さまざまな障害があり、そのなかの一つが、列車は有害物質をもたらす、という考えでした。

これがけっこう広まっていて、市街地近くに駅をつくるなという運動が盛んに起こり、その結果が、現在でも各地で見られる主要駅と旧市街地との分離状態をもたらしています。

そう言えば、ソーテルヌをTGVが走るという話はどうなったのでしょう。鉄道のおかげで霧ができず、貴腐ワインも飲めなくなるかも?

ちなみに、同じ頃、TGVの通っていなかったボルドーに行くまで、延々と、途中ペリグー下車で一泊して-たらふくフォワグラとトリュフを食べました。

なにしろトリュフのスクランブルエッグは大きなどんぶり鉢一杯、フォワグラは鴨の肉を添えて、これも大皿山盛り、その前に食べた生ハムメロンは、メロンが半分、というすさまじい量。

フランス人も小食になりました。-ようやく着いた!という感じでした。

 

ボーヌの町に足を運んで、最初に印象的だったのはBouchard Pere et Filsの建物でした。

ここは、1731年創業という古いドメーヌで、絹織物生産で有名だったリヨンの近くということもあり、代々、絹織物の販売業者でした。当時を窺わせるもののなかに、半分は見本の絹織物を貼ったものを、ひっくり返して反対側からワインの取り扱いを記したノートを見たことがあります。

ブシャールのワインは、80年代はきわめてコスパもよく、盛んに飲んでいたので好感をもっていたから余計に眼についたのでしょう。

なかでも幼子イエスのエチケットのボーヌ・グレーブは、ルイ14世生誕のエピソードも相まって記憶に残るものです。

しかし80年代末からは、名声も地に落ちていました。

そして、ご存じの1995年にシャンパーニュのドメーヌ、アンリオに買収され、着実に評価を、そしてお値段もあげています。

アンリオは、1998年にはシャブリのドメーヌであるウィリアム・フェーブルも買収しますが、このたび、それら2つのドメーヌの208ヘクタールをビオ栽培にすると発表しました。

2024年からになるということです。

 

さて話はもとに戻って、ボーヌのオークション。何気なく記事を読んでいたら、1859年から始まったのですね。

1855年の4年後・・・。

ボルドーの格付けからさほどたたず。時代としては、ナポレオン三世による第二帝政まっただなかです。

産業革命が進行し、経済も活発になります。デパートもできます。

そういうなかでワインが、もはや農産物ではなく、「商品」という価値があるものとして販売されるようになります。

ボルドーの格付けは、まさにその最たるものですね。

同時に、貧困をはじめとする「社会問題」も噴出し、社会主義思想が起こったり、労働運動が起こったりします。

慈善の形態も、その頃変わります。

単純な「施し」から、貧困層、労働者を自立させる積極的な支援や、教育へと舵が切り替わります。

キリスト教社会主義なるものまで登場します。

この時代の動きとナポレオン三世を知りたければ、鹿島茂『怪帝ナポレオン三世』講談社学術文庫がおすすめです。

 

ボーヌのオークションに思想的背景があるかどうかは、分かりませんが、今度の新型コロナに関連して、オークションのあり方や、とくに考え方などが変わってくるのかもしれません。

ボーヌに限ったことではないでしょうが。

2020.11.06


伊東道生 Michio Ito

東京農工大学工学研究院言語文化科学部門教授。名古屋生まれ。
高校時代から上方落語をはじめとする関西文化にあこがれ、大学時代は大阪で学び、後に『大阪の表現力』(パルコ出版)を出版。哲学を専門としながらも、大学では、教養科目としてドイツ語のほかフランス語の授業を行うことも。
ワインの知識を活かして『ワイナート』誌に「味は美を語れるか」を連載。美学の視点からワイン批評に切り込んでいる。

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