ジュヴレ・シャンベルタンとは? ~ワインの王が生まれる産地の基礎知識 vol.2

近年価格が高騰するブルゴーニュワイン、どうせ飲むなら美味しいワインを手にしたい!そんなあなたのお役に立つ、今回のジュヴレ・シャンベルタン解説。第2回は、テロワール、生産者、ヴィンテージまで解説します。

本記事は、ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」が監修しています。ワインを通じて人生が豊かになるよう、ワインのコラムをお届けしています。メールマガジン登録で最新の有料記事が無料で閲覧できます。


【目次】
1. ブルゴーニュのテロワールは土壌なのか?
2. 信頼できる生産者をみつけよう!
3. いつ飲むかそれが問題だ!
4. ナポレオンはシャンベルタンを愛したのか?
5. ジュヴレ・シャンベルタンのまとめ

1. ブルゴーニュのテロワールは土壌なのか?

この産地を訪れると、普段何気なく使ってしまう、「テロワール」という言い回しを、改めて考えさせられます。隣の畑とは、たった数メートルの違いなのに、どうしてワインの味わいが変わってくるだろうと。中世の時代に修道士たちが、個性ある畑一つずつにクリマを名付けていった歴史を、感慨深く思い起こさせます。

グラン・クリュ、プルミエ・クリュのある、丘の中腹および上部は、ほどよい斜面。太陽から良い日射角が取れます。また、冷涼気候のブルゴーニュでは、グラン・クリュの東向き斜面は、光合成に良好な環境です。朝日が露を切り、カビ病を予防。いち早くブドウ樹を暖めて、午後に入っても保熱。また、斜面下部の平坦なヴィラージュの畑と比べれば、土壌は浅くて水はけが良いのも明らか。さて、そこまでは良いとして、グラン・クリュやプルミエ・クリュの中でも優劣や夫々の個性が際立つのは何故なのでしょうか?

ジュラ紀、この地は暖かくて浅い海。途方もなく長い時間を掛けて、海に生息する海藻や貝類の化石が堆積していきます。ジュラ紀前期の土壌にみられる、貝殻堆積泥灰土。ジュラ紀中期に特徴的な、ウミユリ石灰岩。こうした、地層が海底に折り重なっていきました。

海が引いて行き、新生代に入ると、アルプス山脈が隆起し、フランスの中央山塊が上昇。そして、ブルゴーニュ西部では、中央山塊の東端にあるモルヴァン山地が立ち上がります。

東側では今のソーヌ川沿いにみられるブレッサ断層が陥没した低地が現れます。断層がこの地を幾つかのブロックに分断して行きます。こうして、今日の、起伏に富み、ソーヌ川の平地に向かって段差を持ったコート・ドール、黄金の丘が形作られます。この一連の地殻変動、複数の高さが異なる断層の形成によって、ジュラ紀の土壌が、丘の場所により異なって露出し、侵食風化したのです。このため、例えば、同じグラン・クリュの畑の中でさえ地層が異なるということになりました。

南部のグラン・クリュの立ち並ぶ緩やかな丘陵地。ウミユリ石灰岩、貝殻堆積泥灰岩、粘土質石灰岩やプレモー石灰岩の母岩に石灰質の豊富な薄い土壌が覆います。これらジュラ紀の母岩が断層によって、その独特の異なった顔を見せて、ブドウ樹の成長を育んでいます。そして、コンブラシアン石灰岩と言う、炭酸カルシウムの含有量が非常に多い母岩も、崩積土壌に隠れています。

また、貝殻堆積泥灰岩には、モンモリナイトと呼ばれる粘土鉱物が多く含まれていて、土壌中にある植物の生育に不可欠なカルシウム、マグネシウム、カリウムなどを引き寄せます。

そして、コンブ・グリザールと言う峡谷の存在。シャンベルタンに冷涼な影響を与え、ラトリシエール・シャンベルタンとマゾワイエール・シャンベルタンに、小さな堆積土壌の扇状地を残しています。

他方、規模の大きい峡谷のコンブ・ラヴォーからブロションに掛けたジュヴレ・シャンベルタン北西部は、プルミエ・クリュが連なります。280メートルから380メートルの標高で、最も急斜面です。斜面上部は、薄い泥灰土で中腹は、ウミユリ石灰岩、下部は、丘の上部からの崩積土壌が覆います。ここでは、レ・カズティエとクロ・サン・ジャクが隣り合って、並んでいます。

レ・カズティエは、東向きで355メートル。グラン・クリュで言えばクロ・ド・ベーズよりも高い標高です。上部の土壌は、風化した白い泥灰土。下部へ行くに従って、茶褐色の土壌に変わっていきます。母岩は、貝殻堆積泥灰岩で上部はかなり薄い土壌、中腹はウミユリ石灰岩と続きます。そして、断層部分はプレモー石灰岩。

クロ・サン・ジャクの母岩は概ね、レ・カズティエと同様。上部は非常に薄い土壌ですが、下部に行くに従い粘土質豊かで、厚みを増します。コンブ・ラヴォーの影響で堆積土壌の丸石が多くみられます。最上部は、345メートルで、南東向き。

このように、すぐ隣の区画と言っても、日照や土壌には微妙な違いが有り、それがワインの味わいに影響を及ぼすだろうと思うのはごく自然。

そして、ヴィラージュの半分以上が立地するコンブ・ラヴォーから広がる、アペラシオンの中央部。沖積土壌の扇状地で、氷河期に形成された、粘土質、石灰質の小石の土壌が、コンブラシアン石灰岩の母岩の上に載っています。

「間違った側の県道74号線」と言われる、東部はヴィラージュのワインが生産されていますが、重たい粘土質の肥沃な沖積土壌。一部のリューディを除けば、あまり高品質なワインは期待できないとされています。

水はけと養分、pHが今日の科学で理解されている土壌のブドウ生育への影響です。そして、養分も沢山あれば良いというわけではありません。「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」で悪い影響も出てきます。

そして、栄養素のミネラルである、カリウム、リン、カルシウム、マグネシウム等や母岩そのものがワインの香りや味わいに影響を与えるということは、今日の科学では証明が難しいのが実情です。

一方、石灰岩の母岩は、ワインの酸が高くなるのに寄与すると、科学的に議論されています。しかし、実際に貝殻を畑に敷き詰めてみた日本のワイン生産者からは効果が無かったとの声も。いつの日か、ジュヴレ・シャンベルタンの多様な土壌が個性ある夫々のクリマのワインに、どのように寄与しているのかが解き明かされる日が待ち遠しいですね。

2. 信頼できる生産者をみつけよう!

ブルゴーニュのワインを玄人向けにしてしまっているのは、数多くの畑と、その評価や名声。更には、同じ畑の格付けの中でも、優劣が有ることです。加えて、掛け算で一般消費者の選択を難しくするのが、造り手です。ワインは、畑が造るものとよく言われます。そして、ブルゴーニュでは特に、テロワールの重要性が力説されます。しかし、人間の介在が実際は大きな影響を与えます。

アルマン・ルソーは、ジュヴレ・シャンベルタンの造り手の筆頭。1930年代にドメーヌ元詰めを始めた先駆者としても知られています。グラン・クリュのシャンベルタンの畑では最大面積の保有者です。

高級ワインの投資、取引の市場動向を提供している、Liv-ex。ロンドンの高級ワイン取引プラットフォームです。毎年、世界の有力なワインブランド100選を発表していますが、2019年には、DRC、ルロワ、クリュッグを抑えて世界ランキング1位を取っています。

ルソーのワイン価格が高騰して、価値が市場で認められることは良いことではあります。一方で、ヴィラージュで、10万円超え、グラン・クリュでは100万超えのワインも、ざらですから、消費者からすれば、益々、手が届かなくなってしまうことも意味します。

2004から、ブルゴーニュの高級ワインは、価格が8倍にも高騰。株式市場よりも儲かると投機筋もPRに余念がありません。ワインを投資取引の対象にすることの是非は様々なご意見があろうかと思います。

さて、閑話休題。優良生産者の話に戻しますと、やはりこの地で、17世紀から根を張っているデュガ・ピィも、定評ある生産者です。ヴィラージュで数万円、グラン・クリュで、10万円前後と少し手が届きやすくなります。

そして、この産地の名門ドメーヌの一つであるトラぺ。先々代のルイ・トラぺは、2人の子供、息子のジャン・トラぺと、娘のマド・トラぺに畑を分割相続します。それぞれが、ドメーヌ・トラぺ、ドメーヌ・ロシニョール・トラぺでワイン造りをします。こうした生産者の相続による畑の分割は、ブルゴーニュでは至るところで見られます。

その為、生産者の家族構成や婚姻関係はブルゴーニュでは頻出の話題。これは、フランス革命、教会などが所有していた畑の没収と売却、そして1793年憲法と1804年のナポレオン法典の成立で長子相続制が廃止されたことに起因しています。

他にも、アンリ・ジャイエに学び、オレゴンのドルーアンでも経験を積んだ、ジャン・マリー・フーリエが運営するドメーヌ・フーリエも定評がありますが、この村を本拠とする生産者ばかりが良いというわけでもありません。他の産地が拠点でブルゴーニュで広くワイン造りをしている、ドルーアン・ラローズルロワなどの手によるワインも高く評価されています。

ドメーヌとネゴシアン

ブルゴーニュで最古のネゴシアンと言われているのは、1720年にボーヌに誕生したメゾン・シャンピー。そもそもネゴシアンは、自らのブドウ畑を持たずにブドウやワインを調達して、醸造、熟成。そして、ワインを販売するというビジネス形態でした。しかし、80年代にブドウ畑を持つ生産者たちが自ら瓶詰をして販売する、ドメーヌ元詰めというビジネスモデルが加速します。現在では、普通に私たちが購入しているワインのラベルに、「ミ・ザン・ブテイユ・オ・ドメーヌ」と表記されているワインです。

一方、ネゴシアンも自社畑の保有を加速します。いまでは、ブルゴーニュの15%の畑はネゴシアンが保有するまでになっています。ネゴシアン・エルヴールとして、ネゴシアン、ドメーヌのどちらの形態も有する、ルイ・ラトゥール、アルベール・ビショー、ルイ・ジャドはいずれもジュヴレ・シャンベルタンを手掛けています。

こうした大規模なネゴシアンとは別に、忘れてはならないのは、マイクロ・ネゴシアンの存在です。ワインを知り尽くし、選び抜くルシアン・ル・モワンヌ。更には、自分で所有していない畑にも、自ら出向き作業をする、オリヴィエ・バーンスタインもジュヴレ・シャンベルタンに携わっています。ヘクタール当たり何十億円と、余りにも高額になってしまった、ブドウ畑。新しく畑を獲得するのは余程の富豪でなければ無理になった今日。20世紀末から、こうしたビジネス形態が、新進気鋭のワインメーカー達に、道を拓きます。

3. いつ飲むかそれが問題だ!

グラン・クリュは、キュヴェにもよりますが、10年は経たないと本領が発揮できませんし、プルミエ・クリュでも厳格なものは、早く飲んでしまうのは、もったいないです。しっかりセラーで保管をして、飲み頃まで我慢しましょう。

いやいや、すぐ楽しみたい!という向きの方。ワインショップで買って、すぐ飲んで美味しいのは、ヴィラージュでしょう。今なら、2018年くらいのワインでも美味しく飲めます。良い区画のものは、熟成にも耐えますから更に5年~6年以上おいて飲んでも良いでしょう。

グラン・クリュのシャンベルタンは、強いパワーを感じます。酸も高く骨格がしっかりとして余韻も長く続きます。クロ・ド・ベーズは、赤系果実にフロラールな印象。滑らかなタンニン。エレガントです。ラトリシエール・シャンベルタンは、薫り高くソフトで柔らかな印象。

南部のグラン・クリュに近い、プルミエ・クリュは、比較的早くから楽しめる傾向がありますが、北西部のプルミエ・クリュは厳格で長い熟成期間をおいた方がより楽しめます。

ヴィンテージは、最近では、2009年、2010年、2015年、2017年、2019年が素晴らしい年。2018年以降は、果実の熟度は十分に高いレベルです。それ以前には涼しい年もあり、2014年や2017年は酸がたっていて、白ワインには素晴らしい年ですが、赤ワインには厳格さを感じるかも知れません。グラン・クリュ、プルミエ・クリュでしたら、2010年以前のものが飲めるとこの上なく幸せです。

4. ナポレオンはシャンベルタンを愛したのか?

ナポレオンの最愛のワインはシャンベルタン。それでも、1815年、ワーテルローの戦いで敗れてセントヘレナ島に流された後は、シャンベルタンが飲めません。やむなく、シャンパーニュ、ボルドー、酒精強化ワインのマデイラ、そして、死の間際まで愛飲したとされるのは、南アフリカの甘口ワインのヴァン・ド・コンスタンス。

しかし、島流しにされる前まで、いつでもどこでも愛飲していたのは、シャンベルタンです。「N」とボトルに刻印して、外国への遠征にも運んで楽しむのです。当時は、ワインの輸送技術が、まだ整っておらず、酢になってしまうものも。ただ、ナポレオンは、食べ物も同じようなものを嗜んで、変化をあまり好まなかったという話も伝わっており、性格的な部分もあったのかもしれません。そして、ワインは、水で割るのが流儀だったようで、シャンパーニュまで水で割って、レモネードと呼んでいたようです。シャンベルタンも水、それも冷やした水で割って楽しんだようです。果たして美味しかったのでしょうか?

そして、このワインを愛したのは、ナポレオンばかりではありません。アメリカ合衆国建国の父の一人、第3代大統領、トーマス・ジェファーソン。未来の大統領が、駐フランス公使だったときに、シャンベルタンを訪問。後にも、ホワイトハウスのセラー用にシャンベルタンを購入します。シャンパーニュにボルドー、ローヌのエルミタージュと自他ともに認めるワイン通として知られているジェファーソンですが、ブルゴーニュのお気に入りはシャンベルタンだったのです。

また、19世紀の小説家、アレクサンドル・デュマが、モンラッシェを「脱帽し、跪いて飲むべし」と称賛したことは有名な話です。そのデュマが実は、シャンベルタンについても、「このシャンベルタンの杯をすかして見ると、未来はすっかりばら色に見えるぞ」と小説「三銃士」で、ダルタニャンを元気づけています。

5. ジュヴレ・シャンベルタンのまとめ

今回は、ブルゴーニュのジュヴレ・シャンベルタンに絞って、勉強しました。折角、美味しく高価なワインを飲むのでしたら、歴史や自然環境、造り手のことを理解して、ワインを頂くと、記憶に長く留まるのではないでしょうか?まだ、ジュヴレ・シャンベルタンは飲んだことが無いという方は、アカデミー・デュ・ヴァンの講座の中で探してみるのも一つです。一人で1本ボトルを空けるのは大変でも、素敵なワイン仲間とでしたら高価なワインも、気軽に楽しめます。講師の楽しい話を聞きながら、色々なヴィンテージや造り手を比較するのは最高の贅沢ですよ。

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