マルベックとは ~最良のテロワールを見つけたブドウ

マルベックを、積極的にレストランやバーで注文するという方は、ワイン上級者。普通は、「アルゼンチンのワインで、ステーキに良く合うよね」というくらい迄が、一般的なところではないでしょうか。

実はこのブドウ品種はそもそも、フランスの南西地方のカオール辺りが発祥。また、一時はボルドーの代表品種だったこともあります。今回は、マルベックがアルゼンチンの最大品種になって行く道のり、そして最新のトレンドも見て行きましょう。歴史のうんちく話しから、有名生産者までを網羅。いつの間にか、ソムリエさんよりも詳しくなること間違いなしです!

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【目次】
1. マルベックの特徴とやたらに多いシノニム
2. わりあい気難しいブドウ:マルベックの栽培の課題とお気に入りのテロワール
3. 母をたずねて三千里:マルベックがアルゼンチンにたどり着くまで
4. アルゼンチンの混乱とマルベック受難の日々
5. これだけでOK:押さえておきたいマルベックの重要産地
6. マルベックのまとめ


1. マルベックの特徴とやたらに多いシノニム

2009年のDNA分析から、マルベックはメルロと同じ母親から生まれた異父兄弟であると考えられています。その母親は、フランスのブルターニュ地方、そしてシャラント県でも見つかった古い品種、マグドレーヌ・ノワール・デ・シャラント。父親は南西地方の古いブドウ、プリュヌラール。ブドウ発祥の地は、フランス南西地方のカオール周辺のロット川流域とされています。

マルベックと言えば、そのワインの色が濃いと良く言われます。果皮は厚いと言われたり薄いと言われたりと様々。ですが、果粒は小さくて濃い紫色。南西地方では、低温浸漬を行い、抽出も多く取ることで、濃い色合いのワインになっていることもあります。一方、日照が強いアルゼンチンの標高の高い畑で成熟するブドウは、果皮にたっぷりと色素のアントシアニンが集積されます。

成熟は中庸で、アルゼンチンでは、晩熟のカベルネ・ソーヴィニョンよりも、若干高い標高で栽培されます。

また、このブドウには、シノニムが数多くあります。ロワールではコット。ボルドーでは、マルベックあるいは、右岸のリブルネでは、プレサックと呼ばれます。

南西地方では、コットやオーセロワ。でも、このオーセロワというシノニムは、アルザスの白ブドウ品種と同じ名前で、かつこのアルザスの白品種はマルベックとは全く異なるブドウ。同じフランスの中なのに、混乱してしまいますね。この他にも、同じマルベックでも、通常の、’Malbec’では無くて、語尾が、’Malbeck’と変わるものやら色々とありますが、歴史が長いからこそと言えます。

ボルドー名家、リュルトン家のフランソワ・リュルトンは、アルゼンチンのウコヴァレーでもワイナリー経営を行っています。アルゼンチンのマルベックと、南西地方起源のコットの両方の栽培を行っていて、キュヴェの中には、この2つをブレンドしているものも有ります。

19世紀にフィロキセラで壊滅してしまう前の、古き良きコットの血筋を引くフランスのブドウ樹は素晴らしいと考えているのです。他にも、フランスのマルベックはフィロキセラ後、収量の高さを追求して、品質を落として行ったと嘆く、アルゼンチンの生産者も少なからずいます。

フランス国立農学研究所と、ぶどう&ワイン協会が設立した、クローンの登録商標であるENTAV/INRAでは、19種類のコットのクローンが登録されています。ボルドー地域発祥のクローンよりも、南西地方起源のものが種類も多く、広く普及しています。

一般に、アルゼンチンのマルベックのクローンは小粒で、凝縮度が高いワインを生むと言われます。アルゼンチンに渡ったクローンを、1850年代の黎明期、そして、それ以降に持ち込まれたものと、更に、1990年代の栽培が増加した時に持ち込まれたクローンとに、分類する研究が最近されています。長い期間、アルゼンチンで繁殖したブドウ樹と近年持ち込まれたもので、異なった変異を遂げてきています。今後、夫々のクローンの特徴が更に、分析されて行くことが楽しみです。

マルベックの味わいの特徴

アルゼンチンのマルベックの平均像は果実味豊富で、タンニンがこなれている印象。口中に感じる触感も柔らか。アルコールも高く、中には過熟気味の、火が入った果実やレーズンやプルーンなどを感じるワインもあります。一方、カオールの方は、厳格でタンニンにも、収れん性を感じるしっかりした骨格。溌剌とした高い酸に恵まれます。色合いも、濃いものが多くみられます。

マルベックは、メルロやカベルネ・ソーヴィニョン、シラーズと並んで、ステーキに良く合うと言われます。果実味豊富で豊満。そして、タンニンも、ほどよいアルゼンチンのマルベックは、確かに相性ばっちり。アルゼンチンでは、アサードという伝統的な、肉料理がポピュラー。家族や友人たちと集まり、肉のかたまりをゆっくりと焼きながらマルベックを飲み、語らいます。

アサード

そのアルゼンチンのマルベックも力強くリッチな、「インターナショナル・スタイル」のワインから進化を遂げつつあります。新樽比率を下げ、全房発酵も採用。凛とした溌剌としたスタイルへ変わって行くにしたがって、肉料理だけでなく、鶏や魚などとの、様々なペアリングも。食通がますます、楽しめるワインになっていきそうです。

2. わりあい気難しいブドウ:マルベック栽培の課題とお気に入りのテロワール

グレゴリー・ジョーンズのブドウ生育期間の平均気温による分類では、マルベックはメルロとあまり変わらない温度帯。16℃から19℃辺りです。その割には、ボルドーの生産者は、だいぶ栽培上の苦労をしてきました。また、アルゼンチン以外の新世界産地では盛り上がりが見られません。

マルベックは、今日でも、ボルドーでは、花ぶるいや結実不良など生産者からの悩みが聞こえます。花ぶるいの被害にあうと、ヘクタールあたり、7トンに届かない収量になることもあります。

他にも、ベト病などのかびによる病害や遅霜、凍害にも弱いといわれます。ボルドーで、これから人気を盛り返すのは、なかなか難しそうです。しかし、ボルドーに長らく居を構える、マスター・オブ・ワインは、チャンスはこれからとの見方です。気候変動の影響も有り、収量管理や剪定手法の改善や、醸造温度の制御で抽出を穏やかにするなどで、可能性は大いにあると言います。

このブドウは、完熟するのに、潤沢な日照と適切な気温が必要。ですから、乾燥して気候が安定して、暖かいアルゼンチンはマルベックに取っては、最高の栽培適地です。一方、酸を失わないことも重要です。その為の、冷涼な影響をお隣のチリは海に近い産地を選ぶことで確保できますが、アルゼンチンでは、海岸線は遥か彼方。アンデスの標高を利用することが必須です。

アンデス山脈

高地では、標高が100メートル上がると気温が0.6℃下がることが知られています。更には、昼は直射日光で気温がぐんぐん上昇しますが、夜は平地と比べて急激な冷え込みとなり、大きな日較差が発生します。こうした標高の影響を、上手くブドウ栽培に活かすという寸法です。

テロワールを完成させるもの

アルゼンチンが、マルベックに取って、とても恵まれた最良の栽培適地だと言っても、自然に任せるだけでは上手くいきません。テロワールとは天地人だという表現もありますが、人の力も、最高のブドウを育てるには欠かせないものです。

特に、年間200ミリから300ミリの少ない降雨量を補うのに灌漑は必須。この水の管理は人間の力があってこそ。先住民が残してくれたアンデスの雪解け水を運ぶ、貴重な水路。古くからある灌漑技術、フラッド・イリゲーションは、水路から水を引き、水門の開閉で、畑に一挙に水を引き込みます。

しかし、この方法はブドウ栽培面積が増えるに連れて、効率が悪いものとなっていきました。

そして、1980年代に、直接、ブドウの株元に水滴を落とす、ドリップ・イリゲーションが、導入されます。水の効率的利用も可能になり、傾斜地など、フラッド・イリゲーションを採用できない区画にも灌漑を取り入れることができるようになりました。

それでも、メンドーサの表面積の4%程度しか満足に水を回すことはできません。使用は、州政府の認可に基づいた、割り当て制。カテナ・サパータやミッシェル・ローランなどの有名生産者やコンサルタントも、希少な水をどうやって上手く使っていくかが、栽培上の最も大切な課題と認識しています。

最良のテロワールと言っても、他にも、霜害や、雹害(ひょうがい)など、他の産地と同様に様々な脅威があります。生産者が、楽をして、何もしないでも、黙って美味しいワインができるというような土地は無いのです。

3. 母をたずねて三千里:マルベックがアルゼンチンにたどり着くまで

19世紀当時は、色合いも薄くて、弱々しかったボルドーのワインに、カオールのワインはブレンドされ、重宝されていました。また、ボルドーでも、メルロの人気が出る以前、マルベックは、特に左岸の主要品種の一つでした。栽培面積の半分を占めていた時期もあるとされています。歴史に明確にマルベックが現れるのは、18世紀のことですが、カオール原産のワインという意味では中世どころか、ローマ時代から知られ、尊ばれていました。

カオールは、ケルト民族の時代に遡る古い歴史を持ち、ローマ時代の商業都市として栄えていたのです。中世にはすでに、カオールのワインはイギリスに輸入され、14世紀初頭にはバカ売れした記録が残っています。そして、カオールの「黒ワイン」という呼び方も定着していきます。

黒いワインの隆盛と凋落:フィロキセラとボルドーの1956年

19世紀から20世紀にかけて、フランスでは、それまで隆盛を誇ったマルベックの栽培が急激に落ち込むことになります。カオールのワインは、海外貿易を支配していたボルドー商人の嫉妬を煽り、イギリス市場への出荷が自由にできなくなったこともありますし、そのボルドーも、うどん粉病に被害を受けます。

それよりも、なによりも一番の脅威として、ボルドーとカオールに襲い掛かってきたのは、フィロキセラと、その後の1956年の凍害です。3週間にわたり、摂氏マイナス20度ほどの気温に襲われたと伝わっています。これでは、特に寒さに弱い、マルベックの若木はひとたまりもありません。

カオールでは、フィロキセラ禍と凍害の後には、マルベックはわずか200ヘクタールしか残っていなかったという話も伝わっています。しかし、生産者は諦めずに、相性の良い台木を探すなど、努力を続けて産地を復興。1971年にはアペラシオンが認められました。こうして、勢いを盛り返すカオールとは逆に、ボルドーでは1968年に4,900ヘクタールの栽培面積が2011年には1,000ヘクタールへと、その後も凋落の流れは止められませんでした。

チリよりアルゼンチン:第2の故郷

実は、マルベックはチリにアルゼンチンよりも早く到着。1840年代に渡ったと言われています。その後、アンデスを越えて、アルゼンチンに伝わったという説。そして、もっと一般的に語られるのは、アルゼンチンのマルベックの生みの親、フランスの農業技術者のプジェが1853年に、アルゼンチンのメンドーサに伝えたという物語です。それでも、プジェが、フランスの苗木を大事に抱えて、最初に南米の土地を踏んだのは、やはりチリです。

いずれにせよ、チリでは大して広まらなかった品種が、アルゼンチンでは大ブレーク。アルゼンチンが産地として、マルベックに向いていたことは間違いないでしょう。同じように、フランスを後にして南米チリで花開いたブドウ、カルメネーレと比較しても、マルベックのアルゼンチンでの栽培面積の広がりは爆発的。品種のポテンシャルが高かったからこそ、今日の隆盛があると言えましょう。

そして、幸運なことは、苗木がアルゼンチンに運ばれたのが、フランスに、フィロキセラが蔓延する前だったことです。アルゼンチンの土壌は、一般的に砂や砂利がちで、痩せていますので、フィロキセラ耐性があるとされます。それでも、タイミングが少し遅ければ、アルゼンチンでもフィロキセラ禍が猛威を振るったかもしれません。

更に、幸運に恵まれたのは、この19世紀のメンドーサ地域には、先住民のハルペスが残してくれた、灌漑用の水路が既に張り巡らされていたことです。乾燥した砂漠の様な土地には、無くてはならないもの。また、同じ頃、ヨーロッパからの移民が大挙して押しかけてきたことも労働力の供給となりました。

昭和時代に、「母をたずねて三千里」という、一世を風靡した名アニメがヒットしたのをご存じでしょうか?イタリアのジェノヴァから出稼ぎに行った母と会うために、少年マルコがブエノスアイレス迄、はるばる旅をするという物語。この物語の時代背景は、まさに19世紀末。こうした移民たちのお蔭もあり、産地が早々に立ち上がることができました。

4. アルゼンチンの混乱とマルベック受難の日々

20世紀に入って、マルベックは、「フランス・ブドウ」とフランス産ブドウを代表する品種で有るかのように呼ばれ、もてはやされます。しかし、そうは言っても、アルゼンチンでのマルベックの栽培は、何の問題も無く進んだわけではありませんでした。

1960年代には、5万ヘクタールに届こうかというような栽培面積が、1970年代から1990年代を通して、マルベックの栽培面積は減少の一途を辿り、1万ヘクタールほどへと大幅に減少します。

ミュージカルにもなり、アルゼンチン国民に絶大な人気があったエビータ。その夫、大統領のフアン・ドミンゴ・ペロンの時代も始めのころは、外貨保有量は世界一位と言われましたが、60年代以降は、厳しい経済状況に置かれます。更には、1970年代半ばからは、軍事クーデターによる独裁政権が成立。弾圧や拉致、拷問といった暗い時代に入ってしまいます。そして、80年代後半に向けて経済の低迷が加速して行きます。

エバ・ペロン(エビータ)

こうした厳しい環境下、農家ではマルベックを栽培しても、あまり儲かりませんでした。インフレも酷く、収穫するよりも、そのまま畑に放置した方が、まだましという状況に見舞われます。1970年代には、抜根に政府から補助金まで支給されます。

代わりに、収量は多いのですが、品質的には見るところが無いブドウ品種に、改植されてしまいます。国内市場では需要がありますから、いまでも、栽培面積のそれぞれ2位と4位を占めている、果皮がピンク色のセレッサとクリオジャ・グランデがその名残です。

80年代にはカベルネ・ソーヴィニョンなどのメジャーな国際品種への改植も行われます。この時代には、インフレや経済悪化の国内の不満も背景に、フォークランド紛争が起こりました。

こうした、マルベックの暗黒時代は90年代から漸く収束して、明るい兆しが見えてきます。外国からの技術や資本の流入、そして、アルゼンチンの生産者によるマルベックの見直しと栽培適地の開拓です。お蔭で、マルベックの栽培面積は、今では、4万6千ヘクタールまで回復しました。しかし、失ってしまった、マルベックの古木は帰ってきません。抜根という政策を取らざるを得ない時でも、長期的な視野も併せ持つことが必要ですね。

フランスでも、1950年代末から1万ヘクタールほどの栽培面積は1980年代初頭に底を打つ迄、減少傾向となりました。その後、8千ヘクタール弱まで、緩やかに回復していきます。

5. これだけでOK:押さえておきたいマルベックの重要産地

マルベックの世界の栽培面積は、2016年のブドウ品種別のデータでは、カベルネ・フランに次ぐ第15位。ダントツでアルゼンチンがトップで、これに次ぐのがフランス。フランスは、6割方が南西地方で、残りは大半がボルドーで、ロワールは1割にも届きません。そして、残りは、チリとアメリカが夫々2千ヘクタールほど。ですから、アルゼンチンとカオール、ボルドーを押さえておけば十分でしょう。

アルゼンチン

近年のワイン造りの系譜

1990年代からはマルベックの新時代が幕を開けることになりました。それまでの、大樽を使った、酸化的な熟成をした伝統的なスタイルが、大きく変わって行きます。

畑に目を移すと、今日では、機械化も容易な垣根仕立てが増加していますが、2000年代初頭では、半分が棚仕立てに占められていました。

トラピチェボデガ・ノートンと並んで、日本でもおなじみの、歴史は19世紀に遡る老舗の生産者。フレンチ・オークの新樽を導入した初めてのワイナリーの一つです。2000年代には単一畑のワインをリリースし、近年のアルゼンチンのワインの発展に寄与した生産者の一つです。

しかし、アルゼンチンのマルベックを世界地図に載せる上で、多大な貢献をしたのは、やはり、20世紀初頭に植樹を始めたカテナ・サパータでしょう。

3代目のニコラス・カテナ・サパータは、70年代からボルドーやナパを訪問。進んだワイン造りの空気を肌で感じて、アルゼンチンに帰国後、品質革命を起こします。イタリア伝統の、酸化したワイン造りを変えていくのです。新鮮な果実風味を大切にし、収量の削減や、ドリップ・イリゲーションを採用します。

80年代には、栽培適地を考えることの重要性を認識して、標高の高い産地での栽培へと歩を進めていきます。ニコラスは、リュルトン家のジャック・リュルトンから、自身のワインを、温暖産地のラングドックのワインを思い起こさせると評されて、発奮。冷涼産地でのワイン生産を心に誓ったという逸話も残っています。そして、他のワイナリーとも情報交換をして、協力をしながら産地全体を盛り上げました。

ここで、忘れてはならないのは、海外からやって来たコンサルタントの貢献です。

ボルドー他全世界での活躍で言わずと知れた、天下のミッシェル・ローランアルベルト・アントニーニという凄腕のワイン・コンサルタントが、フランス、そしてイタリアから訪れて、アルゼンチンの可能性を花開かせます。

ミッシェル・ローランは、80年代末にアルゼンチンに入り、カファヤテそして、メンドーサを訪れます。コンサルティングを様々なワイナリーで続けながらも、アルゼンチンの可能性にほれ込み、ウコヴァレーで自身のワイナリー、クロス・デ・ロス・シエテを立ち上げます。マルベック主体のブレンドには、完熟ブドウを使い、色合いも濃く、新樽を効かせたスタイルに仕上げます。ロバート・パーカーの評価が高くなりそうな、いわゆる、「インターナショナル・スタイル」のワインが広まります。

アントニーニは、フィレンツェ大学の博士号を持つほか、ボルドー大学、カリフォルニア大学デイヴィス校でも学び、トスカーナの名門アンティノリやフレスコバルディ他海外でもワイン造りをしてきました。彼も、当初は、「インターナショナル・スタイル」のワインを説きます。

この他にも、カテナに、マルベックの素晴らしさを説いたとされる、トスカーナ出身のトップ・エノロゴ、アッティリオ・パリ。そして、ルハン・デ・クージョ、ウコヴァレーを代表する生産者の一人、アシャヴァル・フレールを支えた、ロベルト・チプレッソと有名コンサルタントの関与は、枚挙にいとまがありません。そして、他の新世界のワイン産地と比べて、イタリア系のコンサルタントの活躍が目立ちます。これは、アルゼンチンの人口構成でイタリア系が最大ということを踏まえれば、ごく自然な流れです。

また、海外からの投資や有名生産者との提携も盛んに行われます。ドメーヌ・バロン・ド・ロートシルト・ラフィットとカテナは、1999年に提携し、両社の頭文字(カテナのCAとロートシルトのRO)を取って、「ボデガス・カロ」が誕生。また、同年にサンテミリオンの最高品質のワインを造る、シャトー・シュヴァル・ブランがルハン・デ・クージョにシュヴァル・ド・アンデスを設立します。

こうした先人たちの努力によって、アルゼンチンは世界のワイン産地の一翼を担うようになります。

最近のワイン造りのトレンド

カオールやボルドーでは、タナやメルロ他のブドウ品種とブレンドが行われますが、アルゼンチンでは単一品種のヴァラエタルワインが主流。でも、ブレンドの方も、ボルドー品種に限らず、シラーやテンプラニーリョと新世界ならではの自由な発想でブレンドする生産者もいます。

イタリアのヴェネト州において、ヴァルポリチェッラで有名なマァジは、コルヴィーナとマルベックをブレンドして、その名もコルベックと称して販売しています。

他にも、アルゼンチンの主要黒ブドウ品種の一つ、ボナルダとのブレンドも。因みに、このボナルダ、すっかりアルゼンチンの土着ブドウの顔をしていますが、実際の故郷は、フランスのサヴォワ地方。フランス本国では、マルベックとの組み合わせを、聞くことは無いのに、故郷から遠く離れたアルゼンチンで、ブレンドのお相手として巡り合っています。

そして、ワイン造りの新しい潮流は、ブドウ品種よりも、重要なのはテロワールという考え方。過熟感が無い新鮮なブドウを使い、木樽よりも、アンフォラやコンクリートタンクを活用するという生産者たちが現れてきています。

ウコヴァレーで、スーパーウコというプロジェクトを立ち上げた、マティアス・ミケリーニに代表される4兄弟。早摘みのブドウを使い、アルコールを低く抑えていますが、緑っぽさがワインから出るという意味で、グリーン・ワインメーカーと少々軽んじられた頃もありました。

しかし、今では、ニューウェーヴの騎士。卵型のコンクリートタンクを好み、全房発酵も取り入れます。カベルネ・フランとの混醸も行い、高い酸に裏打ちされた、新鮮で溌剌とした果実感。オーガニック栽培やビオディナミを取り入れた畑で育てた、健康なブドウが使われます。

メンドーサ

メンドーサは砂質で、そもそも放っておけば砂漠の土壌。これを灌漑で、ブドウの栽培適地にしています。そして、全般的には、北東が暖かくて、南西が涼しい構図です。

マルベックはアルゼンチン全体では、ブドウ栽培面積の2割程度を占めますが、その8割までがメンドーサで栽培されています。この産地こそがマルベックに取っては運命の栽培適地であったわけです。

この地域では、量的に、イースタン・メンドーサは無視できない産地ですが、高品質ワインの代表的な産地は、標高が高いルハン・デ・クージョ、ウコヴァレーに限られます。

ルハン・デ・クージョ

この産地は、メンドーサ市の南に位置する、伝統的な高品質ワインの産地。カテナ・サパータやシュヴァル・ド・アンデスの本拠地です。シュヴァル・ド・アンデスの畑は、砂質の比率が石灰質と共に高く、岩がちで、ブドウ樹は台木を使わずに自根で栽培されています。

ウコヴァレーよりも暖かくて、ウィンクラーの産地区分では、リージョンのⅢもしくはⅣとなり、果実の熟度は高くなります。800メートルから1,100メートルほどの標高で栽培されます。

この産地は、1993年に最初のDOC(原産地呼称名)として認められました。アルゼンチンの、原産地呼称制度の規定は、ヨーロッパのアペラシオンと同様に、産地と生産上の収量やブドウ品種などの規則を定めます。ですが、ヨーロッパのワイン法に比べると緩やか。そして、認定されている地区は、ルハン・デ・クージョの他は、同じくメンドーサ州のサン・ラファエルのみ。なので、生産者からすると、あまりプレミアム感を訴求できません。

方や、GI(地理的表示)の方では、生産者がブドウの産地の個性を打ち出せて、差別化ができているので注目されています。アルゼンチン全土で100を超えるほど広まってきました。

ウコヴァレー

メンドーサではもっとも標高の高い産地で、ルハン・デ・クージョのすぐ南に位置しています。高品質ワインを生産するのには、冷涼産地が向いていると、海抜1,500メートルを越える地区に関心が集まっています。この産地は南緯33度。アメリカのダラスや福岡の辺りが同じ緯度です。平地でも、緯度だけで言えば、栽培適地には入りますが、標高が上がることで、冷涼産地になります。

1990年代から、この産地は注目を集め始めます。もとは、ルハン・デ・クージョと比べてメンドーサの中心地から遠く、市場アクセスが悪いと考えられていました。しかし、カテナ・サパータが、進出したことで、生産者が集まってきます。

今では、このウコヴァレーがメンドーサでも最先端。今日、最も熱い産地です。北からトゥプンガト、トゥヌジャン、サン・カルロスの地区に分けられますが、特に注目著しいのは、トゥプンガトの中のグアルタジャリーとサン・カルロスにあるパラへ・アルタミラ

ニコラス・カテナは、グアルタジャリーにアドリアンナ・ヴィンヤードを1993年に開きました。石灰質土壌で岩がちな土壌です。標高によって、栽培品種が変わってきます。1,300メートルから、1,450メートルくらいは、晩熟のカベルネ・ソーヴィニョン。その上の、1,600メートルくらい迄の畑には、マルベックの他に、カベルネ・フランや白ブドウ品種も栽培しています。マティアス・ミケリーニも、このグアルタジャリーを拠点としています。

土壌と味わいの方程式が解けるとき

これまでは政治、地理的な理由でしか定められていなかったGI。この歴史を、2013年に初めて塗り替えた、パラヘ・アルタミラは特別な産地です。アルゼンチンのマルベックの「約束の地と言っても過言では無いかも知れません。

いわゆる、オールド・ワールド(旧世界)産地では当たり前に行われている、気候や土壌、歴史にもとづいた地域区分として、GIが認められたのです。生育期間の平均気温は18℃。温和な気候と言えますが、夏場の最高平均気温が30℃の月でも最低気温は13℃と、十分な酸を維持しながら高い糖度を実現するのに適した産地であることが分かります。

ズッカルディは、この産地の石灰質の痩せた土壌の1,100メートルほどの標高でマルベックを栽培しています。家族経営で、先代はもともと土木技師で灌漑システムを造っていたという、生産者。現当主は、3代目のセバスチャンです。

今や、アルゼンチンを代表するワイナリーの一つとなったアシャヴァル・フレール。アメリカの雑誌『ワイン・アンド・スピリッツ』で世界一のマルベックと賞された、最高峰キュヴェのフィンカ・アルタミラを、この地で造っています。

アルトス・ラス・オルミガスのプロジェクト。アントニーニと共に、ペドロ・パッラが、アルタミラの区画毎に異なったテロワールを分析します。土壌とワインの香りや味わいとの関係は、一部の限定的なものを除いては、科学的に解明が進んでいません。ですから、常々、ワイン愛好家や専門家の間で議論になり、あるいは逆に触れてはいけないと、忖度するような事柄になっています。

今のところ、支配的な意見は、両者には直接的な関係は無いというもの。ワインと土壌との関係では第一人者のアレックス・マルトマンが説き、マスター・オブ・ワインや、多くの専門家たちが賛同しています。

ある意味、ペドロ・パッラはその対極にいると言えます。チリ出身でワイン産地の土壌分析の経験豊富な、地質学者。花崗岩土壌、石灰質土壌、片岩土壌で育ったブドウからできたワインを、利きわけられると自負しています。チリでは相当な影響力があり、モンテスにカベルネ・ソーヴィニョンからシラーへの改植を促してしまうほど。

将来、土壌と味わいの関係を解き明かすような重要な発見が、ウコヴァレーから世界に発信される日が来るかもしれませんね。

サルタ

北の産地のサルタ。アンデス麓のカファヤテの知名度が確立しています。1,500メートルから3,000メートル級の高地。香り高いアロマティックな白ワイン、トロンテスの産地として、最も著名です。緯度が南緯25度ですから、ハワイやエジプト等の中東と変わりません。栽培適地は基本、緯度30度から50度。標高が高くなければブドウ造りには向かない産地です。

マルベックの栽培面積に占める割合は、わずか4パーセントほどではありますが、評価の高い産地。標高の高い畑で、抑制の効いたスタイルのワインが造られています。

3,000メートルの標高で、アルゼンチンで最も古いワイナリーの一つ、ボデガ・コロメが開拓したアルトゥーラ・マクシマのマルベックは、高級品です。また、この畑は、世界の美しいワイナリーを選出する「ワールド・ベスト・ヴィンヤーズ」で2021年に世界35位に選ばれています。

高いところで栽培すれば良いというものではありませんが、このサルタ州のすぐ北隣のフフイ州でも3,000メートルを超える畑があり、世界で最も高い標高のブドウ産地を争っています。

フランス

カオール

カオールではマルベック主体のアペラシオンが1971年に認められました。ブレンドの70%以上をマルベックが占める必要があり、タナやメルロもブレンドするのが一般的。

産地としては、大西洋からも地中海からもある程度距離を置いた内陸に入るので、海洋性の気候と共に大陸性の影響も受けます。ボルドーよりも降雨量が少なく、日照も豊か。お蔭で、この地区は、オーガニック栽培の比率が高く、マルベックの栽培には、ボルドーよりも適していると言えます。ロット川に近い沖積地では、収量は高く軽めのワインに。標高が300メートル程度になる丘陵地では収量は低く、凝縮度に恵まれた高品質ワインが産出されます。

この産地の、有名な生産者の一つは、カルティエの会長だった、アラン・ドミニク・ペランが所有し、投資を続けてきたシャトー・ラグレゼット。ミッシェル・ローランも長らく協力してきました。この生産者の最高級キュヴェ、ル・ピジョニエは著名です。わずか、3ヘクタールにも満たない区画から手摘み収穫されます。

一方、元気な若い世代の生産者たちは、オーガニック栽培にこだわり、それまでのネゴシアンへのブドウ納入を、自社製造に切り替えます。畑では区画毎に収穫し、醸造ではアンフォラも採用。そこには、シャトー・デュ・セードルのパスカル・ヴェレーグの様な、評価が確立したワインを造り、こうした若い世代の兄貴分のような存在もいることが、産地の今後を楽しみにさせてくれます。

黒いワインといわれて、収れん性が高いのが、伝統的なスタイル。飲み手を選ぶワインでした。しかし、最近では、とっつきやすいワインも登場しています。

この産地には、フィロキセラ禍で打ち捨てられたままとなっている区画も残っていて、これからの努力次第で産地としての盛り上がりはあり得そうです。2000年代後半から、この産地を再び盛り上げようと国内外からの投資や進出を誘致する動きが加速。フランス出身のメンドーサの生産者ファーブル・モンマヨーは、2017年にこの地のシャトーを買収し、カオール第2位の生産者となりました。

ボルドー

ボルドーのワインでマルベック比率が高いものを飲んだ方は、読者の方でも少ないのではないでしょうか?それでも、アペラシオンの規則で、今でも正式に栽培が許されたブドウ品種です。黒ブドウで認められている、6品種の内の一つ。因みに、6種類とは、カベルネ・ソーヴィニョン、メルロ、カベルネ・フラン、プティ・ヴェルドー、マルベック、カルメネーレです。

栽培面積は、1,000ヘクタールにも届きません。ボルドー全体では、11万ヘクタールほどですから、ほんのひとかけらしかマルベックは栽培されていません。ボルドーでは主として、ガロンヌ川とドルドーニュ川との合流地点あたりの右岸、コート・ド・ブール、ブライ・コート・ド・ボルドーで栽培されますが、補助品種の位置づけです。

6. マルベックのまとめ

今回は、フランス生まれなのに、新世界のアルゼンチンが、知名度でも量的にも世界一になったマルベックに注目。栽培が広まっていった背景を深堀してみました。ブドウ品種の特性によって、栽培適地が異なること。更には、気候の変動や、時代背景、求められるワインのスタイルも、ワイン造りには大きな影響を及ぼすことがわかりました。幾らかでもマルベックが身近に感じて頂けるようになれば、なによりです。ぜひ、肉料理と共に、ご家族、ご友人と、マルベックを楽しまれてください。

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