いまやワイナリー数が500軒を超え、ますます美味しくなりつづける日本ワイン。生食品種から欧州系品種にいたるまで、ルールに囚われない自由で多様なスタイルが魅力ですが、やはりその根底にあるのは甲州とマスカット・ベーリーA。日本の固有品種です。今回は日本が誇る唯一無二の黒ブドウ品種マスカット・ベーリーAについて徹底解説していきます。
【目次】
1. マスカット・ベーリーAのワインの特徴
2. 故郷は新潟 ~マスカット・ベーリーAのルーツ
3. イチゴの香りの成分フラネオールと収穫時期の関係
4. マスカット・ベーリーAの栽培方法の工夫
5. 多様なスタイルを生むマスカット・ベーリーAの醸造方法
6. マスカット・ベーリーAの主な産地と各地の個性―新潟、山梨、長野、山形、中国・九州地方
7. 懐の深いマスカット・ベーリーA 相性の良いペアリング
8. マスカット・ベーリーAのまとめ
1. マスカット・ベーリーAのワインの特徴
日本ワインを知るなら、まずは一番に押さえたい黒ブドウ品種が日本の固有品種マスカット・ベーリーA(Muscat Bailey A)。1927年に川上善兵衛が日本で開発した品種で、「ベーリー」と「マスカット・ハンブルグ」の交配により生まれました。生食兼用品種でもあり栽培量は甲州に次いで2番目、黒ブドウではトップの生産量を誇る品種です。
マスカット・ベーリーAのワインの特徴は、チャーミングなイチゴやキャンディの香り。一般的には渋みが少なく、ライト~ミディアムボディのフルーティーな赤ワインの原料になることが多いほか、ロゼやスパークリング、珍しいブランドノワールも造られています。その軽やかな味わいから、以前は新酒の原料として主に使われていましたが、現在は、樽熟成をはじめ様々な醸造技術を応用した世界品質レベルのワインが続々と出てきています。
また、甲州の生産量の95%が山梨に集中しているのに比べマスカット・ベーリーAは6割が山梨、次いで山形、長野、広島、島根県と全国で栽培されています。それだけ各産地から多彩なワインが造られているのです。ブドウ自体も産地によって微妙に特徴が異なります。例えば新潟と勝沼のマスカット・ベーリーAを比較すると、新潟のマスカット・ベーリーAは果皮も厚く果粒もゼリー状で、ワインにも凝縮感が生まれると言われています。このように日本各地でも違いを感じられるのが面白いポイントです。
2. 故郷は新潟 ~マスカット・ベーリーAのルーツ
マスカット・ベーリーAの生みの親は、新潟・岩の原葡萄園の川上善兵衛氏。日本ワインの礎を築いた「日本ワインの父」です。本物のワイン造りを目指し1890年に岩の原葡萄園を興したものの、欧州系品種は雪と雨の多い日本海の土地では当時難しく、日本の風土に合う品種を開発しようと決心します。のちのサントリーとなる寿屋(現サントリー)の鳥井信治郎の資金協力も得て、1万種以上の試験改良に取り組み、1927年マスカット・ベーリーAの品種交配に成功。2013年にはOIV(国際ブドウ・ワイン機構)にも登録され、黒ブドウとして初めて日本固有の品種が世界に認められました。ちなみにマスカット・ベーリーAを英語表記するとMuscat Bailey A。よく間違われやすいのですが「Berry」ではなく「Bailey」、交配品種の親であるベーリーから来ています。
3. イチゴの香りの成分フラネオールと収穫時期の関係
マスカット・ベーリーAを特徴づけるイチゴやキャンディの甘い香りの素となるのが、「フラネオール」という成分です。イチゴやパイナップルなどの生食フルーツにも多く含まれ、マスカット・ベーリーAにおける含有量は欧州系品種の1000倍以上。この生食ブドウ特有の香りを倦厭するワイン愛好家や醸造家もおり、フラネオールを抑えたワインも増えています。メルシャンの最近の研究でわかった重要な内容が、「フラネオールおよび前駆体は、果実の成熟に伴い増加する」ということ。即ち、収穫時期が遅い方が、フラネオールが増えるというのです。山梨では9月中頃に収穫することが多いですが、遅摘みの10月以降、一気にフラネオール成分が増えるそう。使用する酵母や酵素、加温など醸造方法によってもフラネオールの発生の仕方が異なるため、収穫時期や醸造方法の検討によりフラネオールのコントロールできる可能性が示唆されています。
4. マスカット・ベーリーAの栽培方法の工夫
伝統的な海外の産地に比べ雨が多く土壌が肥沃な日本では、ブドウを栽培するために独自の栽培方法が発達してきました。その工夫が棚栽培。地面から高い場所に果実が成る棚仕立てでは、通気性がよく湿気がこもりにくくなります。また、1本から多くのブドウを成らせるため、強くなりがちな樹勢を押さえる効果もあります。甲州やマスカット・ベーリーAなど昔から日本で栽培されている品種は、今でもほとんどが棚仕立てによる栽培です。
日本の風土に合うように開発されたマスカット・ベーリーAは、比較的病気にも強く、育てやすい品種といえますが、日本全国、その気候風土に合わせて独自に工夫を凝らしています。例えば、岩の原葡萄園では、積雪に備えて棚の高さを通常より高くしているほか、雪の重みから樹を守るため、一度枝を交差させてから横に伸ばす独特の仕立て(交差分岐)を採用しています。
5. 多様なスタイルを生むマスカット・ベーリーAの醸造方法
かつてはシンプルなスタイルが多かったマスカット・ベーリーAですが、海外で学んだ造り手がその技術を応用したこともあり、いまや様々なスタイルから造られるようになりました。渋みを抑えてキャンディ香を出したチャーミングなものから、より複雑なスタイルを目指すため、野生酵母で発酵させたり、香りを豊かにするための低温浸漬(発酵前に低温で数日間マセレーション)や全房発酵(ブドウを除梗破砕せずに房ごと発酵)、凝縮感を増すためのセニエ(果汁を一部抜き取ることで、果皮との比率を高める)をしたり、様々な醸造方法が試されています。
マスカット・ベーリーAに不足しがちなタンニンを補強するために、一部果梗を加える生産者もいます。メルシャンの研究(「マスカット・ベーリーAの香味に関する研究開発」)で明らかになったのが、マスカット・ベーリーAの果梗にはタンニンが多く含まれており、果梗を利用することで、複雑味を増すことができる可能性があるというもの。この研究結果を受け、フジッコワイナリーが果梗を利用した「石川マスカットベーリーA」「マスカット・ベーリーAラシス」を開発するなど、ワイン造りにも影響を与えました。
熟成に関しては、ステンレスタンク熟成と樽熟成、どちらも相性が良いといえます。樽熟成の場合、フレンチオークからアメリカンオーク、アメリカンとフレンチオークを組み合わせたマスカット・ベーリーA専用樽、さらにはミズナラ樽を使用する生産者もいます。
また、単一品種で造られることが多い品種ですが、ブレンドをすることでその魅力を引き出す生産者も。マスカット・ベーリーAに欧州系品種をブレンドしたり、ブラック・クイーンや小公子など日本固有品種とブレンドしたり、様々なパターンがあります。さらには甲州とマスカット・ベーリーAをブレンドしたロゼワインなど、ユニークなワインもリリースされています。
そして最後にご紹介したいのが、陰干しタイプ。収穫後にブドウを数カ月間干すことで、マスカット・ベーリーAの香りや味わいを増強し、ワインの凝縮感を高める新たなスタイルです。メルシャンやマンズワインなど大手もすでに陰干しワインをリリースしており、マスカット・ベーリーAの魅力を引き出す新たな製法として注目されています。山梨の自然派ワインの造り手、ドメーヌヒデがリリースしている「ホシワイン」は参考価格18,000円程度と高価なワインですが、日本のワインとは思えぬその凝縮感溢れる味わいは、一度飲んだら忘れられません。
6. マスカット・ベーリーAの主な産地と各地の個性
新潟
生産量こそ少ないものの、マスカット・ベーリーAの生みの親、川上善兵衛の故郷は、マスカット・ベーリーAを語るのに外せない産地です。岩の原葡萄園では善兵衛品種にこだわったワイン造りを貫いていますが、特にトップキュヴェの「ヘリテイジ」は新樽を使った濃厚かつ凝縮感のあるスタイルで、マスカット・ベーリーAの熟成のポテンシャルを感じさせてくれるワインです。
マスカット・ベーリーAは、実は土地の特性が出やすい品種であることがわかってきています。例えば、新潟と山梨のものを比較すると、果皮が暑く果粒が羊羹状で固い新潟のものに比べ、山梨のマスカット・ベーリーAは果皮が薄めで果粒の水分が多いのが特徴です。それが香りや味わいの違いにも反映されるのですね。
山梨
全生産量の6割を生産するのが山梨県。甲州やマスカット・ベーリーAなど日本の固有品種を大事にしてきた伝統産地でもあり、伝統品種にプライドを持つワイナリーも多い産地です。シャトー酒折は、「マスカットベリーA樽熟成 キュヴェ・イケガワ」「マスカットベリーA樽熟成 キュヴェ・オギハラ」などフォクシー・フレーバーを抑えた品質の高いマスカット・ベーリーAで有名です。
日本のみならず海外にもその名をとどろかせているのが、ダイヤモンド酒造の雨宮吉男氏。ブルゴーニュでワイン造りを学び、その技術を応用したエレガントなスタイルのマスカット・ベーリーAは、造り手飲み手双方にインスピレーションを与え続けています。
また、先ほど新潟と山梨のマスカット・ベーリーAの違いをご紹介しましたが、山梨のなかでも産地によって微妙にマスカット・ベーリーAの特徴が異なるといわれています。例えば勝沼と穂坂を比べると、勝沼のブドウは水分が多く果肉もゼリー状であるのに比べ、標高が高く粘土質でより冷涼な穂坂では、ブドウの粒も小さく果皮が厚くなり、色素やタンニンをしっかり抽出できるといいます。
山形
山梨に続いてマスカット・ベーリーAの生産量が多いのが山形県。代表的なワイナリーが、タケダワイナリーや朝日町ワイン。創業1920年と長い歴史を誇るタケダワイナリーでは、古木のマスカット・ベーリーAも現存し、なかには樹齢80年を超えるものも。凝縮感と洗練された味わいの「ドメイヌ・タケダ ベリーA古木」は、一度は飲んでおきたいワインです。一方、コストパフォーマンスの高さで人気の朝日町ワインでは、生産量の7割をマスカット・ベーリーAが占めています。看板商品ともいえるのが、「マイスターセレクション 遅摘みマスカットベリーA」。初雪が降る直前の11月上旬まで引っ張り収穫&高めのセニエ率によって実現した凝縮度の高い味わいが人気です。
長野
長野はメルロやシャルドネをはじめ欧州系品種の割合が多いため、あまりマスカット・ベーリーAのイメージがないかもしれませんが、実は生産量は全国3位。塩尻や松本、須坂、小諸などで生産されていますが、特に老舗のワイナリーが集結する塩尻が名高く、サントリーや五一ワイン、井筒ワイン、アルプスワインなどが高品質なマスカット・ベーリーAのワインを造っています。新しい試みとしては、最近サントリーが発表した「ワインのみらい」シリーズの「塩尻マスカット・ベーリーA ミズナラ樽熟成」に注目。ミズナラで熟成するとココナッツや白檀などオリエンタルなお香の香りが加わり、マスカット・ベーリーAの甘い香りとも相性が良いそうです。
中国・九州地方
関西圏でマスカット・ベーリーAの生産が全国4位、5位にランクインするのが広島と島根県。広島の三次市では古くから植えられ、高品質なマスカット・ベーリーAを生産する農家も。三次ワイナリーの「TOMOÉマスカット・ベーリーA 木津田ヴィンヤード」や、小公子とマスカット・ベーリーAをブレンドした小公子とマスカット・ベーリーAをブレンドした「TOMOÉ小公子マスカット・ベーリーA」というユニークなブレンドも興味深いです。
島根県を代表する島根ワイナリーは、甲州が2019年に日本ワインコンクールで三冠(初の金賞、部門最高賞、コストパフォーマンス賞)を達成し一躍注目が集まりましたが、実はマスカット・ベーリーAの生産もさかん。軽やかで柔らかいスタイルの赤ワインのほか、マスカット・ベーリーA100%で造られた瓶内二次発酵方式のスパークリングもおすすめです。
また、岡山県ではグランポレールが造る「岡山マスカットベーリーA 樽熟成」が比較的手に入りやすく、かつコストパフォーマンスが高く狙い目。自然派ワイン好きなら、ドメーヌ・テッタのマスカット・ベーリーAがお気に召すかもしれません。
九州でマスカット・ベーリーAに力を入れているのが、宮崎県の都農ワイン。ブドウの熟度の高さがもたらすフルーティーで芳醇な味わいに、温暖な土地ならではのマスカット・ベーリーAの個性を感じ取ることができます。
こうした全国のマスカット・ベーリーAを飲み比べるイベントもあります。「マスカット・ベーリーA1927→」という生産者団体が2022年から始めたのが、「全国マスカット・ベーリーAワイン大集結」という年一度の試飲イベント。マスカット・ベーリーAからワインを生産するワイナリーが全国から集結し、マスカット・ベーリーAのワインのみをひたすら試飲できます。マスカット・ベーリーA好きのワイン愛好家はぜひ参加してみてください。
7. 懐の深いマスカット・ベーリーA 相性の良いペアリング
マスカット・ベーリーAのワインと何はともあれ合わせてほしいのが、お醤油を使ったお料理です。お醤油を多用する和食全般のほか、焼き鳥(タレ)やウナギのかば焼きとは絶妙の相性の良さ。それもそのはず、マスカット・ベーリーAに含まれるフラネオールは、実はお醤油にも含まれている成分。その相性の良さには化学のお墨付きというわけです。また騙されたと思って試してみてほしいのが、イワシの焼き魚など青魚との相性。通常であれば生臭くなってしまいそうなところですが、肝の苦味をマスカット・ベーリーAがうまく受け止めてくれ、日本ならではの驚きのペアリングを体験できることでしょう。
8. マスカット・ベーリーAのまとめ
栽培や醸造の技術向上にともない、マスカット・ベーリーAのワインもますます高品質・多様化が進んでいます。シンプルなものから複雑なものまで選択肢も豊富で、和食との相性が抜群のため、普段の食事にもぴったりです。ぜひ様々なマスカット・ベーリーAを試して、日本ワインの魅力を発見してみてくださいね。