栽培醸造家が語る日本産ワインの光と影 Vol.1 進撃の警戒色

世界中のワイン産地で栽培・醸造の修業を積んだあと、日本産ワイン(日本ワイン+国産ワイン)の現場に立った筆者が直面した、日々の現実をさまざまな角度から切り取るコラム。現在独立して業界に忖度や遠慮がいらない立ち位置のため、書く前から光:影が1:9くらいのバランスになる気がしないでもない。第1回は、我が国のブドウ畑とは切っても切れない関係にある、アレについて。初回に相応しい題材でないことは間違いない。

文/國吉 一平


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【目次】

1. The Silence of the Vineyards
2. Touch Me If You Can
3. Tiny Evil under the Sun
4. Clear and Present Flying Danger


1.  The Silence of the Vineyards

想像してみてほしい。分厚い外壁により外界と隔てられた、無音でだだっ広い樽貯蔵庫の中でひとり、300個もある樽の栓を開けたり閉めたりしながら、その澱を黙々と撹拌し続けられるだろうか?

否。ゆえに、ワイナリーにはいつも、音楽が欠かせない。

畑では、どうか? 考えうる限りのマックス装備で臨んでもまだ寒い時期。静寂に包まれた斜面を、延々と自分の吐息だけを聞きながら、かじかんだ手で何ヘクタールも剪定できるだろうか? やはり、ブドウ畑での作業中にも音楽が必要だ。

しかしそんな常識は、この日本で働いてすぐ、悉く霧散してしまった。
何故か。
両耳をイヤホンで塞いでしまったら、オオスズメバチの警告音が聞こえないからである。

 

2.  Touch Me If You Can

自身のスズメバチに対するトラウマは、幼少期に遡れるほど由緒あるものだ。男子の端くれとして日夜虫獲りに勤しんでいた私にと、隣のおじさんがくれた、見事なオオスズメの巣。

数週間後、実は無人ではなかったカプセルホテルから、規則性があるともランダムともわからぬ不可解なリズムで、ぐねりながらうごうごと顔を出す白い……嗚呼、もうやめておこう。
複数回刺されると、アナフィラキシー・ショックとやらで死ぬこともあるという情報を後年耳にしてからというもの、その恐怖心は増すばかりだ。

彼らにも自然界では立派な役割がある。そんなこたぁわかっている。しかしひとたび刺されでもしたら、時限爆弾を抱えながら畑仕事をしているのと一緒ではないか。ヒゲをたくわえた赤や緑の配管工だって、仮にライフが1機しかなければ、慎重に慎重を期してジャンプするに違いない。ああ、そうなったらどうしよう。夏場は畑に遺書を携帯しろとでもいうのか。私はそれでも、ブドウを、ワインを愛せるのだろうか。

スズメバチの生態や恐ろしさについては、半定期的にTVで流れる危険生物特集などのおかげもあって、広く知られるところとなっていよう。被害が年数十件と聞けば、たいしたことがないように思われるかもしれないが、畑の現場では、この数字に含まれていない影響は計り知れない。

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3.  Tiny Evil under the Sun

例えば肩掛けの刈払い機で草刈り中、執拗にまとわりつかれれば、作業の中断を余儀なくされ、その付近を後回しにせざるを得ない。私の知り合いなどは、乗用モア(ゴーカートのような草刈り機)での作業中に藪で巣を引っ掛け、一個小隊の追撃を受けた。さっさと降りて自分の足で走ったほうが速いのだが、パニックのあまり気が回らず、結果樹に激突したりしている。走って逃げるにしても、人によっては子供の運動会で準備運動なしに全力疾走した中年よろしく、足が数日プルプルするといった二次被害も発生するだろう。

そして――報道すらされていないが実は――直接的なブドウへの食害も凄まじいものがあるのだ。熟したブドウを咬みちぎって喰らい、啜る。糖分が豊富に含まれた、果汁丸出しの傷からはもちろん、付随した被害が併発する。

極端な話、夜行性の害獣による食害であれば、朝畑に来て両膝から崩れ落ちるだけで済む。しかし彼らは気温の高い日中に活動するため、作業中ずっと付き合わなければならない。重役出勤で畑に現着した、自らの親指程度の羽虫に、我が子が貪られている光景をまざまざと見せつけられるのだ。そればかりか、触れるブドウの裏側についていやしないかとイチイチ考えるだけでも、精神が擦り切れるような苦行である。

彼らが飛び交う中で収穫を行ったこともあるが、はっきりいって並の胆力で完遂できる任務ではない。ブドウが収穫されて減るにつれて、ぶら下がっている残りの果実に集合し、徐々にスズメバチ濃度が高くなっていくためである。子供の頃はおもちゃ代わりに、針を抜いたハチにタコ糸をつけ、飛ばして遊んでいた、などというシルバーさんは、こういう時本当に頼もしく見えたりする。

市街地ならいざ知らず、業者に駆除依頼をかけ畑から追跡したとしても、往々にして誰の所有かもわからない林に巣があるため、おいそれとは手出しできないのも厄介である。

女王が動く時期に捕まえるのがベストなので、例年甘い蜜の入ったホイホイ的なものを支柱にぶら下げている。無論、数秒でこと切れるスプレー噴射で接近戦を挑む勇気を、微塵も持ち合わせていないためだ。効果は年によりマチマチで、スズメバチ以外も入ることがあって申し訳ない気になるのがネック。また、最近ではやや高価だが、アリの巣コロリならぬ、スズメバチ用のハチの巣コロリも販売されている。

 

4. Clear and Present Flying Danger

仮に、「世界で最も住みやすい都市ランキング」的な、「世界で最も危険なブドウ畑ランキング」があったとすれば、日本の環境は最も苛烈なクラスであり、上位に食い込むことは確実だ。詳細は別に譲るが、クマ、サル、イノシシ、マダニ、ツツガムシ…と枚挙に暇がない。その中にあっても、飛行能力を有するスズメバチは、やはりとりわけチート級の存在だといえるだろう。

悲劇的なことに、昨年アメリカやカナダでもオオスズメが発見されており、Murder Hornet(殺人バチ)として警戒・駆除が進められている。ミツバチの巣を襲い、壊滅させることもあるために、特に養蜂家は戦々恐々としているようだ。

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フィロキセラの大陸移動から何年が過ぎただろうか。レッドバック(セアカゴケグモ)、ヒアリといった外来種の侵入騒動も記憶に新しい。エンドプロダクトを楽しむだけの消費者が、グローバリゼーションとやらのせいでワインの味が平均化した、などという可愛らしいイシューに気を取られていた間。他国の害虫の存在はどうやら、とっくに対岸の火事ではなくなってしまっていたようである。

かように凶悪な生物と長年共存してきたニホンミツバチは、「熱殺蜂球(ねっさつほうきゅう)」という、まるで格闘ゲームの必殺技の如き響きの秘技を編み出した(命を賭して集団でオオスズメを蒸し殺すのだが、知れば知るほど深く感銘を受けるストーリーである。ご存知ない方は一度調べてみてほしい)。

外来のセイヨウミツバチ同様、我ら日本のヴィニュロンも、この島国では新参者の部類に属する。この強敵との付き合い方について、大きな岐路に立たされているのではなかろうか。

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國吉一平 Ippei Kuniyoshi

飲食業界を経て、オーストラリアでワインの基礎、ニュージーランドで栽培・醸造学を履修。卒業後はカーネロス、タスマニア、ホークス・ベイやマールボロ、サンセールなどのワイナリーで経験を積む。日本でワイナリーの新規立ち上げに携わったのち、現在は老後に向けて山形でシュナンの畑を開墾中。アカデミー・デュ・ヴァン大阪校卒業生。

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