自然酵母で作ったワインは培養酵母で作ったワインより美味しいのか / リケジョが行く!ワインを科学で考えるコラム Vol.1

近年のいわゆる「自然派」の流行に伴い、「自然酵母」「天然酵母」という言葉が高品質の象徴のように強調されることが増えています。その背景にある考え方と、自然酵母の長所と短所を明確にすることで、自然酵母の是非を考察します。

文/小原 陽子


【目次】


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ワイン作りに関わる酵母はたくさんある

サッカロミセス・セレヴィシエ

サッカロミセス・セレビシエ

ワインに使う酵母というと「サッカロミセス・セレビシエ」をだれもが思い浮かべるでしょう。その名前はサッカロミセス属のセレビシエ種という生物学上の分類を示すもので、ブドウの表面に付着している様々な菌や酵母のうち、アルコール発酵を完結させるのがこのサッカロミセス・セレビシエです。一方、ブドウをつぶしたばかりのマストの中にはサッカロミセス属であってもセレビシエ種以外の酵母や、そもそもサッカロミセス属ですらない酵母も多数存在しています。

発酵中の赤ワインのマスト

発酵中の赤ワインのマスト

発酵の初期、アルコール度数が5%程度に上昇するまでの間は、そんなサッカロミセス・セレビシエ以外の酵母が活発に活動することができます。これらのいわば「脇役」酵母が発酵初期に「適度に」関わることで様々な物質がワインの中に放出されます。これらが香りや味わいに複雑さが与えられるとされ、「自然酵母を使うと複雑さが生まれる」と言われる要因の一つです。発酵が進みアルコール度数が高くなると、通常はこれらの酵母はその勢いを失い、サッカロミセス・セレビシエが優勢となってアルコール発酵を完結させることになるのです。

 

培養酵母を使うと退屈なワインになるのか

では、自然酵母を使わないと複雑さは得られないのでしょうか。答えは否でしょう。そもそも「培養酵母=退屈なワイン」とされる理由の一つに「培養酵母として使われるサッカロミセス・セレビシエが単一の酵母だから」という誤解があるように思います。上述のようにサッカロミセス・セレビシエとはサッカロミセス属のセレビシエ種という生物学上の分類を示していますが、同じサッカロミセス・セレビシエでも、さらに細かい分類である株が多数存在します。果実味を強調する株や酸を強調する株など様々な特性が把握され、それらが製品として販売されているのです。つまり「培養酵母」という単一の酵母を使って、世界のどこでも型にはめたようなワインが造られているというわけではなく、多様な「培養酵母たち」の中から品種や求めるスタイルによって適切なものを選択することができるのです。さらには同じ畑で獲れたブドウを別々の株を使って発酵させ、それらをブレンドすることだって可能です。

一方で培養酵母否定派からは、「培養酵母を加えてしまうと脇役酵母の活動が抑えられてしまうから退屈な味わいになるのだ」という主張を聞くこともあります。この主張は、多くの培養酵母が所有する「キラー性(他の酵母の増殖を阻害する性質)」を根拠に論じられていると考えられます。つまり、培養酵母を添加することで「他の酵母の活動を阻害して、単一の酵母だけが働く環境を作ってしまう=だから退屈なワインになる」ということでしょう。ただ、このキラー性は全ての酵母に作用するわけではありませんし、培養酵母を用いたから脇役酵母の活動が100%抑えられるわけでもありません。ですから培養酵母を使うことで発酵初期の多様性が失われ、退屈な味わいになると断じてしまうのは極端な主張と言えるのではないでしょうか。

さらに酵母の議論をし始めると忘れてしまいがちな「当たり前のこと」があります。それはワインの味わいは酵母だけで決まるものではないということです。プレスの圧力や手法、果汁の清澄具合、発酵容器、発酵温度、果皮との接触時間、MLFの有無、熟成の有無や期間、熟成容器、ブレンドまで、ワイン造りの工程には数え上げればきりがないほどの選択肢があります。だからこそ、偉大な生産者の中にも培養酵母を使う人がいるわけで、酵母の選択だけで品質が決まることはあり得ません。すなわち自然酵母=複雑で高品質、というのはあまりに短絡的すぎると言えるでしょう。

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自然を生かすこととコントロールしないことは違う

そもそも培養酵母は人工的に作り出したものではなく、自然界に存在する酵母の中から順調にアルコール発酵を進める能力のあるものを選抜し、培養=増やしたものです。つまりもともとは「自然の」酵母であり、「自然とそうでないもの」という分類の仕方には大きな違和感を覚えます。

また複雑さをもたらすとされる脇役酵母たちに「適度に」活動してもらうためには、アルコール発酵へのバトンがきちんとサッカロミセス・セレビシエに渡されるという大前提が必要です。発酵槽の中はいわば、酵母同士の激しい生存競争が繰り広げられている状態ですら、もしも「自然に存在していたサッカロミセス」が弱ければ、脇役酵母が主役の座にのし上がってしまうこともあり得ます。発酵槽に見られる代表的な脇役酵母であるクロエケラ属やハンセヌラ属は欠陥臭の一つである揮発酸(酢酸及び酢酸エチル)を生成しますし、カンジダ属はそれに加えてアセトアルデヒドも生み出します。すなわち、これら「脇役でいい味を出してくれるはず」の酵母が主役になると、とても飲むに堪えないワイン(とは呼べないもの)が出来上がる可能性があるということです。そんなリスクを回避するために「発酵が順調に進む」という基本的な条件をクリアした培養酵母を使うことは、場合によって必要な選択肢となるはずです。

ところが、培養酵母を否定する作り手の中には「自然であること」を求めるあまり、事実上「発酵のコントロールを放棄」してしまう人もいます。主役に主役を気持ちよく演じてもらい、脇役がそれを引き立てるためには、ステージのおぜん立てが必要です。それがSO2の添加やpHの調整、あるいは酵母に必要な栄養素である窒素分の添加であったりするわけで、ワインの科学をきちんと学んでいる作り手は発酵槽の状態を常に監視しながら、必要であればそれらの対策がいつでもとれるよう準備しています。もちろん、長年の努力の末それらの対策が必要ないほどのノウハウを身に着けた作り手もいます。しかし「自然であること」が目的になってしまい、どう見ても欠陥であるワインを「自然を反映した素晴らしいワインだ」としてしまう人も残念ながら一定数いるのが現状です。

 

肩書きに左右されない「美味しいワイン」を

昨年INAOがVin méthode natureの定義を発表したことで、ワインの世界で「自然派」という言葉がますます重視されるようになるかもしれません。しかし、自然のままに放置することと、自然を最大限に生かしながらも必要な場合には手を加え、良いワインを作ることは似ているようで違います。

自然派というワインの中にももちろん、高品質で美味しいワインはたくさんあります。
ただ、「畑ではあれほど細かな作業をしてブドウを育ててきたのに、醸造所に着いたら何の手も加えずに『自然のまま』放置するなんて、ブドウにも栽培者にも申し訳ない」そう言ったある有名なワインメーカーの言葉を思うと、「自然派です」と強調されればされるほど、「自然かどうかではなく、ただ美味しいワインが飲みたいだけなんだけどな」と「不自然派」の私は思うのです。

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小原 陽子(おばら ようこ)Dip WSET
東京理科大学薬学部卒。製薬会社で有機化学の研究員、化学メーカーで農薬安全性研究部門スタッフとして通算18年の勤務経験を持つ120%リケジョ。現在はワイン講師、ワイン専門通訳・翻訳者、ワインライターとして活動。マスター・オブ・ワイン研修生として日々研鑽に励み、2018年には研修生対象のAXAミレジムスカラシップを唯一のアジア人として受賞。

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