「子どものころ、祖父が手入れをしていた小さなブドウ畑でよく走り回って遊んでいました。巨峰や藤稔(ふじみのり)、ヒムロット。そんな名前を自然と耳にしながら育ちました。まさかその自分が、日本ワインの仕事に携わるようになるなんて。人生というのは、本当に不思議ですね」
そう語るのは、日本ワイン専門の卸販売とプロモーションを行う「マザーバインズ&グローサリーズ」で活躍する丹羽駿介さん。かつては別の業界で働いていた彼が、どのようにしてワインの世界へと足を踏み入れたのか。今の仕事にたどり着くまでのワイン人生を語っていただきました。
【目次】
1. ブドウ畑に囲まれた日々
2. 料理を通して人とつながる喜び
3. 思いがけず開かれた、ワインへの扉
4. アカデミー・デュ・ヴァンで出会った仲間と学び
5. 日本ワインとの、印象深い出会い
6. 日本ワインを届けるという仕事
7. 夢は、日本ワインをもっと身近な場所に
8. ワインを学んでみたいと思ったら
1. ブドウ畑に囲まれた日々
子どものころ、私のまわりにはいつもブドウがありました。親戚は地元では名の知れた葡萄農家で、実家にも祖父の代から続く小さなブドウ畑があります。
現在は、父が引き継ぎ、会社員として働きながら、休日も関係なく日々畑の手入れをしています。母方の実家もお米やトウモロコシ、野菜を栽培する農家だったこともあり、その姿を見ながら育った私にとって、農業はとても身近なものでした。
天候に左右されるブドウづくりの大変さや、努力だけではどうにもならない瞬間があることも、自然と学んでいったように思います。けれど当時の私は、それが自分の未来に関わるとは思っていませんでした。ただ、どこか遠い世界のことのように感じていたのです。

実家のブドウ畑、巨峰の交配品種の藤稔。大粒で甘みがあり、
2. 料理を通して人とつながる喜び
大学時代、友人に手料理をふるまったときのことです。みんなが笑顔で「おいしい」と言ってくれるその光景に、料理が持つ力を初めて実感しました。
料理を通じて人と関わる仕事がしたい——そんな思いから、八丁堀のスペインバル「maru(マル)」でアルバイトを始め、2年半、現場で多くのことを学びました。店ではワインをメインで扱っていましたが、当時の私は「お店で出している飲み物」というくらいの感覚で、特別な関心を持っていたわけではありませんでした。
それでも、食の世界への思いは変わらず、大学卒業後は飲料メーカーに就職。けれど、どこか心に引っかかるものがありました。4年ほど勤めた頃、やっぱり「料理をつくりたい」という気持ちを抑えきれなくなり上京、のちにイタリアンレストラン「IL VISCHIO(イル ヴィスキオ)」へ転職することになります。

イタリアンレストラン「IL VISCHIO(イル ヴィスキオ)」勤務時代
3. 思いがけず開かれた、ワインへの扉
厨房で料理をしたくて入ったレストランでしたが、思いがけない出来事がありました。入社してしばらくしたある日、店のソムリエがケガをしてしまい、急きょ私がホールを担当することになったのです。
最初の勤務日、お客様に「このカルパッチョに合うワインは何ですか?」と聞かれたとき、私は何も答えられず、ただ立ち尽くすしかありませんでした。シェフが助けてくれましたが、そのとき思ったのです。「これは勉強しないといけない」と。帰宅後、すぐにワインスクールを調べました。
4. アカデミー・デュ・ヴァンで出会った仲間と学び
私が選んだのは、アカデミー・デュ・ヴァンの「ソムリエ/ワインエキスパート資格取得講座」です。当時の私はブドウ品種の名前をいくつか知っている程度で、ほとんど知識はありませんでした。でも、講師の方々がとても丁寧に教えてくださり、すぐに「学ぶことそのもの」が楽しくなっていきました。
初日には「クラス会」が開かれ、講師や仲間と一緒に食事をしました。あのとき出会った仲間たちは、今でも大切な存在です。店に来てくれたり、励まし合ったり、支え合ったり。あのつながりがあったから、最後まで頑張れたと思います。
当時は朝8時から深夜まで働いていて、まとまった勉強時間はとれませんでが、それでも厨房の壁に地図を貼ったり、休憩時間に練習問題を解いたり、工夫しながら少しずつ知識を積み重ねていきました。スクール仲間と問題を出し合ったり、休みの日にブラインドテイスティングを行ったりもしたことも良い思い出です。
努力が実を結び、ストレートでソムリエ資格を取得することができました。

アカデミー・デュ・ヴァンのクラスメイトと
5. 日本ワインとの、印象深い出会い
資格を取った2016年、日本ワインの存在が少しずつ注目され始めたタイミングでもありました。ソムリエの田崎真也さんが、日本ワインや日本酒の魅力を積極的に発信されるようになり、二次試験でもマスカット・ベーリーAが出題されたほどです。私はそれを「ガメイ」と答えてしまい、撃沈(苦笑)。「まだまだだな」と、身に沁みて感じた出来事でした。
その少し後、「四谷ふく」というお店で、北海道・奥尻ワイナリーのピノ・グリに出会いました。ひと口飲んで、「日本ワインって、こんなにおいしいんだ」と驚きました。それがきっかけとなり、日本ワインの魅力にどんどん惹かれていったのです。
休日には長野や山梨のワイナリーを訪ね、生産者の方々のお話を直接聞いたり、都内で開かれる日本ワインイベントに出向くようになりました。
そうして出会ったのが、「マザーバインズ」という会社です。ワイナリー専門のコンサルティングを行い、ワイナリーの事業計画から醸造機器や苗木、醗酵資材、ラベルデザインに至るまで、すべての面で支援していると聞き、すぐに「ここで働いてみたい」と思いました。
6. 日本ワインを届けるという仕事
いま私は「マザーバインズ」の子会社である「マザーバインズ&グローサリーズ」で、主に日本ワインの卸販売とプロモーションを担当しています。仕事はワインを届けるだけではありません。畑の植栽の段階からワイナリー設立のサポートを行い、販路の開拓や、メーカーズディナー、イベントの企画・運営にも関わっています。
ときには都内を出て、地方で生産者とともに企画を行うこともあります。自分が関わったワイナリーのワインが完成し、「おいしかった」と言ってもらえたとき。そんな瞬間に、この仕事のやりがいを深く感じます。

三軒茶屋の会員制焼き鳥「日和」さんにて、島根県奥出雲ワイナリーのメーカーズディナーを開催

長野県長野市「ピザ&ワイン酒場シロッコ」さんにて、
7. 夢は、日本ワインをもっと身近な場所に
私には、これから実現していきたい夢がふたつあります。
ひとつは、ワイナリーをより魅力的な「観光地」として、
もうひとつは、アートとワインを結びつけるような企画やイベントの開催も考えて
8. ワインを学んでみたいと思ったら
これからワインを学んでみたいという方には、まず日本ワインをおすすめしたいです。
白ならデラウェア、赤ならマスカット・ベーリーA。どちらも香りが甘美で、やさしい味わい。初めての一本にぴったりだと思います。そして何より、「気負わずに楽しむ」ことを大切にしてほしいです。知識がなくても、「おいしい!」と感じたその気持ちこそが、いちばんの出発点になります。その一本との出会いが、きっとこれからの人生をちょっと豊かにしてくれるはずです。
カルパッチョに合うワインを聞かれて、何も答えられなかった8年前。あの小さなできごとが、丹羽さんのすべての始まりとなりました。いま、丹羽駿介さんは、日本ワインのある未来を、現場から静かに支え続けています。
プロフィール
丹羽駿介(にわ しゅんすけ)
マザーバインズ&グローサリーズ株式会社(Facebook/instagram)
- 星座:さそり座
- 血液型:O型
- ワイン以外の趣味:アート鑑賞
- 好きな食べ物:パスタなど麺類、甘いもの
- もし生まれ変わったら何になりたい?:この業界に入ってから「ブドウ畑の土になってみたい」と思ったことがあります(笑)。目立たないけれど、長い時間をかけて確かな実りを支え続けられる存在に憧れます。
- 酔っぱらったらどうなる?:飲めば飲むほどワインの説明が長くなります。
- 人生を変えたワイン:奥尻ワイナリーのピノグリ