ワインボトルのなかとそとvol.1 メキシカンワインを、もう一杯

人生の岐路に立った、いや立たされた時。自分にしかわからない痛みや心に忍び寄る影、でも、逃避するのではなく、明日の元気を得て、もう一度進もうとするとき。あなたはどんなワインに助けられるのだろう。ナポレオン、サー・ウィンストン・チャーチルは底抜けの祝祭の時だけではなく、苦難と屈辱、それでも「もう一度」の場面でシャンパーニュを選んだ。酒に溺れるのではない。泳ぐために味わうのだ。きっと、あなたが愛するワインは今日を逃げる手段ではなく、何度でも、「もう一度」を与えてくれる。

文/岩瀬 大二


【目次】

1. US.ポップパワーバンドが歌うメキシカンワイン。
2. ワイン造りは16世紀から。日本は最大のお得意様のひとつ。
3. 癒やしの力を引き出してくれた、あの日のワインと音楽。
4. サイアクの日には、1杯の「ケの日」ワインを。
5. 私のためのメキシカンワイン。


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1. US.ポップパワーバンドが歌うメキシカンワイン。


Fountains of Wayne(ファウンテインズ・オブ・ウェイン)というアメリカのパワーポップバンド。彼らが2003年にリリースした「Mexican wine(メキシカン ワイン)」という曲がある。
淡々と歌われる物語は、不条理な死とそれがむなしく消費される光景、わずかな不注意による彼女の病死、そのような状況で、主人公は変わろうともがくけれど、結局は変わることをやめる。

「変わろうとは考えたけど、変えようとはしなかった」。そして日常を過ごす。一杯のメキシカンワインを~Think I’ll have another glass of Mexican wine~と歌い、飲みながら。

その日々の後、主人公は大手航空会社のパイロットという職を勤務中の些細な不注意で失ってしまう。飛ぶための術を失い、引退することになった。でも主人公は歌う。「Now I’m retired and I think that’s fine」。これでもよかった。「夏の日、それでも太陽は輝き続けている」、「変えようと思ったけれど、変わらなかった日々があった」。

そしてまたThink I’ll have another glass of Mexican wine。メキシカンワインは、変われないもどかしさの象徴なのか、それとも、それさえも愛しき日々だと思えるものなのか。キーは「1本」ではなく「1杯」。溺れるためではなく、ささやかな明日を生きるための、飾らない儀式。

 

2.ワイン造りは16世紀から。日本は最大のお得意様のひとつ。


少し横道にそれて、メキシカンワイン。ワイン造りの歴史は古く1574年にまでさかのぼるという。これはアメリカ大陸で最古とも言われていて、スペイン移民によって栽培・醸造行われ、当時、ワイン作りに適した気候や土壌による高品質なワインを造ることに成功していたと言うが、実際の品質はどんなものだったのか興味がわく。

実際、南部は亜熱帯で高温多湿なジャングルがあるが、一方では高原や、乾燥し日中と夜間の寒暖差が激しい地域もある。これはワイン造りとしては一つの恵みではあるが、それを活かせる技術があるかは、また別の話だろう。

現在は、メキシカンワインの約80%を生産量するバハ・カリフォルニア州、バハ・カリフォルニア・スル州を含む10以上の州で、200以上の造り手が生産をしている。

主なブドウ品種はカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シャルドネなどで、南欧やスペインのブドウも栽培されている。高い評価を受けていて、著名レストランでもオンリストされるようなワインもあるにはあるのだが、それでも全体的には国際的な評価や知名度、またイメージという点では低く、また話題になることもあまりないというのが実情ではあるだろう。実は、輸出量の30%が日本に輸出され、日本はアメリカに次ぐ、ワイン輸出先、といってもピンとくる人はどれぐらいいるのだろうか。

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3.癒やしの力を引き出してくれた、あの日のワインと音楽。

僕とメキシカンワインの関係はといえば、2003年にこの曲に出会う前、代官山や目黒通りのメキシコ料理店で何度か飲んだ程度で、その印象はといえば「確かにメキシコ料理には合うなあ」という程度。年齢的にも、このころワインの世界の扉を開いたという喜び的にも、その時いくつか口にしたメキシカンワインは刺激的なものではなかった。

サン・テステフやピエモンテ、カンパーニャあたりがそのころ熱をあげていたワインで、2002年の誕生日のワインは8月の暑い盛りに、より強さや厚みを求めてのグランジだった。

仕方のないこととはいえ、今振り返れば、ワインに対する頭も舌もマインドも硬かったのだ。それら以外に夢中になれるワインはないと思っていたし、メキシコでいいワインなど造れるはずがないと、大した知見もないのに考えていた。

今からその頃の自分にダメ出しをしたい気持ちもあるが、それもまたその当時の自分には仕方のないこと。もし、僕がこのころワインに大した興味をもっていなかったとしたら、または、なんの常識にも縛られていなかったら、おおいにはまっていたかもしれないとも思う。

今、いろいろな経験を経て柔軟になった僕には、今飲むいくつかのメキシカンワインはとても心地の良いものだ。少し素朴な甘やかさのあるスパークリングワインもいい。それらは口当たりがなめらかで、それはシルクやベルベットというよりはもっとリラックスしたやわらかさで、果実味はおおらかだけれど、どこかつつましやか。

陽気な会話という場面も似合うのだけれど(ここまで行くとかなり個人的な見解になってしまうけれど)、雨の日の夕方、一人で、シンプルなつまみ、お気に入りの小説とともに、癒しの数杯、そこにもすっと寄り添ってくれる。「(ここまで行くとかなり個人的な見解になってしまうけれど)」、と書いた雨のメキシカンワインは、実は妄想ではなく実体験。仕事でもプライベートでも忙しく、疲弊し、先行きが見えなかった日々が続いていたある日の午後。

2012年ごろだったが、ふと時間が空いて、晴れやかさではなく息をふうっとつけるようなタイミングで、そのときたまたま家にあったメキシカンワインを開けた。BGM、いやペアリングは、小さい音量でかけた「Mexican wine」と雨の音だった。癒しは力になる。これは今でも思うことだが、その日がそのきっかけだった。

 

4. サイアクの日には、1杯の「ケの日」ワインを。

曲の解釈はいろいろある。もしかしたら主人公は単に日常から抜け出せていないだけなのか。疲れた体を癒すのではなく、昭和の(自分もだが)あのころの親父たちがただ憂さを晴らし溺れていった酒と同じなのか。酒に逃げて日常を直視していないのか。

メキシカンワインというのは、本当はワインではく、なんらかの暗喩的なアイテムなのかもしれないとも邪推する。

少なくともブルゴーニュやスペイサイドのスコッチウィスキーではないのだろうから、特別に上質なものではないのだろう。僕の勝手な解釈は、主人公にとってメキシカンワインはハレとケ、非日常と日常であれば、日常のもので、悲劇の際にでもなんとか日常に戻ることができる象徴なのではないか、悲しみや苦しみ、日々の不条理に押しつぶされそうな時でも、この1杯があれば、それでも生きている価値が見いだせる。

でも、すがる、ではない。それでもいい、それがいいと思えることは諦めではなく、生きる強さ。その答えはわからない。少なくとも僕はこの曲に力をもらったし、メキシカンワインは癒しと明日の力をくれた。

 

5.私のためのメキシカンワイン。

もし、何かの機会があれば作者本人に聞いてみたかった。しかし、作者の一人である、このバンドの創設メンバーで名ソングライターのアダム・シュレシンジャーは2020年4月、新型コロナウィルスによる合併症で亡くなってしまった。52歳。その一報に接したとき、深い悲しみの後、僕にとってのメキシカンワインを探した。2020年、そのころの僕にとってのメキシカンワインはリアスバイシャスのアルバリーニョだった。

例えば僕で言えばクローズ・エルミタージュであり、ペイドック、アルゼンチンのマルベックが助けてくれた時もあるし、最近では、ニューヨークやチリのあのワインやこのワイン、そうだ氷見の丘の上のワイナリーも…と、どんどん助けてくれるアイテムが、歳を重ねて増えていく。

ワインにあるのは価値の上下ではなく、多様な価値であって、世間的な評価や知名度と品質、そして個人としての愛しさはまた別のところにあるはずだ。

あなたが口にして肩の力を抜いてくれたワイン、悲しみの涙を温かく柔らかいものにしてくれたワイン。それこそがあなたにとって価値のあるワインではないだろうか。そしてそこから掘り下げる。そのワインのことを、そのワインの背景を。飲むだけ、論評するだけのワインではなく、あなたの扉をあけてくれるワインとの出会いを大切にしていただきたい。「私のためのワインを、もう一杯」。

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岩瀬 大二/Daiji Iwase

MC/ライター/プランアー/イベント・オーガナイザーなど様々な視点・役割から、ワイン、シャンパーニュ、ハードリカー、ビール、日本酒などの魅力を伝え、広げる「ワインナビゲーター」、「酒旅ライター」。「お酒をめぐるストーリーづくり」「お酒を楽しむ場づくり」が得意分野。お酒単体ではなく、スポーツやロック、旅、地域文化、園芸などさまざまな分野とお酒の魅力を結びつけ紹介している。フランス・シャンパーニュ騎士団オフィシエ。シャンパーニュ専門WEBマガジン『シュワリスタ・ラウンジ』編集長ぐるなび「IPPIN」酒キュレーター。他、ワイン専門誌や情報誌、WEBメディアでの特集企画・ワインセレクト・インタビュー、執筆。日本ワイナリー収穫祭や海外生産者交流イベント、日本最大級のスペイン祭りなどお酒と人々を結ぶイベント演出、MC/DJ多数。

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