伊東道生の『<頭>で飲むワイン』Vol.110

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続々々・コロナウイルスに負けない…イル・ド・フランスのワイン

伊東道生の『<頭>で飲むワイン』Vol.110

伊東道生の『<頭>で飲むワイン』Vol.110

このコラムでも以前、紹介したこともありますが、ワイン史というかブドウ栽培の歴史家の大家、故ロジェ・ディオン氏の『フランスワイン文化史全書』は、ブドウ栽培に関して、我々がいかに偏見を抱いているかを明らかにしてくれます。

それによると―例えば、シャンパーニュ地方のランスは、パリなどよりも気候条件がブドウ栽培に適している。

夏の平均日照時間や、平均気温、春の霜の頻度、平均湿度といった葡萄栽培にとってとりわけ重要な気候条件については、ランスはパリよりもはるかにいいはずで、明瞭にその差が現れるにちがいない、と思われていた。

しかし、調べてみるとこのような条件にたいした違いは見あたらず、しかも全ての条件に関してパリの方がランスより恵まれていたのである。歴史資料に当たると、パリ地方できわめて上質なワインが作られていたことに疑いの余地はなかった。

われわれは自ら好んで自分たちの葡萄畑の美質を、自然から与えられた特権、フランスという土地だけに与えられた恩恵-テロワールの概念も-に由来すると考えがちなのである。

それはあたかも、祖国としてのフランスという感情が生まれる以前からわれわれの祖先たちがこぞって誇りとしたワインの産地としての名声を、人々の努力の結果として見なすよりも、天の恵みと見なす方が、わが国にとってより大きな名誉となると考えたかのようである。

葡萄栽培の歴史に関して広く流布した概念のうちに、数多くの誤った見方や解釈が見受けられるのは、このためにほかならない。見事な成果は、それが長く辛い労働の産物であるとき、そのような労働そのものを忘れさせかねない。

19世紀まで、イル・ド・フランス地方最北のワイン、つまり「フランスのワイン vin de France」が作られていた。

「シャンパーニュのワイン」と呼ばれるランスやエペルネのワインも、これらのワインに含まれるのが常だった。そして、そのワインはブルゴーニュのワインと並んで、高い評価を受け、宮廷で供された。

しかし19世紀になって、鉄道で運ばれてくる安価な南仏ワインという要因が、北部のブドウ栽培を衰退させた。

しかし、それだけではない。休耕地を家畜用の飼料栽培地に変えたり、砂糖大根のような産業用作物を植えたりすることで、穀物栽培の経済体制が、権威を回復し始めた。

第二帝政末期、麦と家畜に価値を見いだす実業家農家の動向が大きくなってくる。そのためブドウ栽培は衰退していく。

引用が長くなりました。現在イル・ド・フランスとよばれるこの地域は、18世紀には42 000ヘクタールという、フランス最大のブドウ栽培地でした。

しかし、今では自家消費用のワインをつくる農家がほとんどです。

そうしたなか、イル・ド・フランスの栽培業者組合(SYVIF)は、1999年以来、この地のルネサンスを試みてきました。

2016年来、ヨーロッパで農作物栽培権利の解放が宣言されます。

この流れに乗って、SYVIFは旧農地を再編する努力を続けました。

一方、農業会議所もAVVIというイル・ド・フランスのブドウ栽培者協会を設立し、両者は、共存してきました。

ここに、都市型ワイナリー la Winerie Parisienneが2015年に設立されるという新たな要因が登場します。

(このワイナリーについては、HPがあります。http://www.winerieparisienne.fr/maison 簡略ながら、日本語版もあります。http://www.winerieparisiennejapan.com/  )

イル・ド・フランスのブドウを使用したワイン生産の新しい道が見えてきました。

かつてのように、イル・ド・フランスで生産されるブドウのワインが、パリで醸造され、供給される道筋です。

こうした20年来の経緯の末、INAOは、イル・ド・フランスのIGPを認定することになりました。この流れが、今回のコロナウイルス禍で頓挫しないことを願います。

毎度のことで、私事ながらエピソードを一つ。

シンポジウム発表のため、パリの図書館で研究をしていた昔の話です。仕事に疲れて、オルレアンに行きました。

パリから急行で近く、ちょっと旅した気分も味わうことができるし、大聖堂でも見に行って気分転換でも、と。

当時は、オルレアンは、ビネガーの産地というイメージでした。

このビネガーは、オルレアン製法という、ワイン・ビネガーにワインを足して作るものだそうですが、香りのいい、マイルドなものです。酢酸のきつい匂いは全くしません。

昼前にオルレアン着で、さっそくビストロへ。牡蠣を前菜に、というので、出てきたのは、エシャロットを刻んだものが入った赤ワイン・ビネガー。

牡蠣をそれにつけて、なんか醤油の代わりにビネガーをつけているみたい、と思った記憶があります。フランスパンと一緒に食べ、大変おいしかった。

そのとき、勧められたのが、やはり地の赤ワイン。

ロゼを濃くしたような、それこそクラレット色。大変軽い。しかもビネガーと同じ味わい。

ひょっとしたら、同じ系統?と店員に質問すればよかったのですが、食べて、飲むことに必死で、そんなことは思いつきもしませんでした。

いい思い出となり、オルレアンびいきになりました。

実は、オルレアンは、AOPではロワール地域に属しますが、ここも「フランスのワイン」の一つで、上質ワインの産地でした。

ちなみに、フランス語のオルレアン・ワインのWikiをみると、17世紀や18世紀の古いブドウ栽培の書物が載っています。

ブドウ栽培が盛んだった証拠ですね。https://fr.wikipedia.org/wiki/Orl%C3%A9ans_(AOC)

もし上記の試みがうまく軌道に乗ったら、AOPロワールから脱して、IGP「イル・ド・フランスのワイン」地域に認定されてもいいように思います。

もし生きていたらロジェ・ディオンもそう願ったかも。商売上は難しいかもしれませんが。

ところで、オルレアンの乙女、ジャンヌ・ダルクが持ち上げられるようになったのは、第三共和政の19世紀末のことです。

1880年に、革命記念日(7月14日)が制定され、軍隊への三色旗授与式が行われ、同時に公共施設や、公務員の自宅でも三色旗を掲揚することが勧告されます。

デュルケームという、当時権威をふるっていた社会学者は、「祖国、フランス革命、ジャンヌ・ダルクは聖なるものだ」と語り、彼女のオルレアン城攻撃は、バスチーユ攻撃と重ねられ、国威発揚、ナショナリズムのシンボルに祭り上げられます。

右派のアクション・フランセーズは、彼女は優等なるアーリア人種として、反ユダヤ主義のシンボルに仕立て上げます。

いずれにしても、きな臭い話がつきまとっています。

さてジャンヌ・ダルクは、オルレアンのワインを飲んだのでしょうか。

そもそもワインを飲まなかった気がしますが。

2020.07.24


伊東道生 Michio Ito

東京農工大学工学研究院言語文化科学部門教授。名古屋生まれ。
高校時代から上方落語をはじめとする関西文化にあこがれ、大学時代は大阪で学び、後に『大阪の表現力』(パルコ出版)を出版。哲学を専門としながらも、大学では、教養科目としてドイツ語のほかフランス語の授業を行うことも。
ワインの知識を活かして『ワイナート』誌に「味は美を語れるか」を連載。美学の視点からワイン批評に切り込んでいる。

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