【永久保存版】ヴィオニエ ~華麗なる復活。華やかさに隠された素顔

アプリコットや桃などの有核果実に、フローラルな香り。豊かなボディに、しっかりした触感。華やかだけれど、上品。フランス・ローヌ地方を代表する白ブドウ品種の最右翼。特に、北ローヌのアペラシオンのコンドリューシャトー・グリエでは唯一使用が許されている白ブドウ品種です。また、黒ブドウのシラーでは世界で最も有名な産地の一つ、コート・ロティで補助品種に認められている、たった一つのブドウ品種でもあります。

昨年には、日本ソムリエ協会のワイン・エキスパート呼称の2次試験にも出題されるに至り、日本でもメジャーな品種の仲間入りを果たしています。

今では普通に手に入り、おいしく頂けるヴィオニエですが、実は受難の歴史がありました。

今回は、シャルドネや、ピノ・ノワール、カベルネ・ソーヴィニョンなどの一般的な国際品種に飽き足らない皆さん向けに、更に上級レベルに進む上で、学んでおきたいヴィオニエを深堀します。

クリーミーなシチューや、食べ応えのある魚料理、あるいは少しスパイシーな前菜などに合わせたい。そんな時に、いつもの泡や白ワインに加えて、選択肢に持っておくとお友達やソムリエにも一目置かれることでしょう。

本記事は、ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」が監修しています。ワインを通じて人生が豊かになるよう、ワインのコラムをお届けしています。メールマガジン登録で最新の有料記事が無料で閲覧できます。


【目次】

  1. どこから来たの?:伝説のブドウ品種「ヴィオニエ」
  2. ヴィオニエは、不死鳥のごとく
  3. 白ブドウのピノ・ノワール?:ヴィオニエの栽培と醸造・どこが難しいの?
  4. 香りの高さの秘密:鍵はアプリコット
  5. ヴィオニエは、シラーと仲良し!ブレンドじゃなくて混醸?
  6. ヴィオニエの主要産地
  7. まとめ

1. どこから来たの?:伝説のブドウ品種「ヴィオニエ」

ワイン通を自負するなら、知っておきたいこと。それは、ヴィオニエが、1960年代まで凋落の一途をたどって、絶滅の危機に瀕していたことです。この頃、ヴィオニエの産地と同じ北ローヌの、コート・ロティでも同じように、シラーの栽培面積が減少していました。ローヌ渓谷沿いの急峻な斜面で栽培されたブドウ樹を維持して、品質の高いブドウを収穫するのは大変な重労働だったのです。

このヴィオニエですが、ふるさとは、やはり北ローヌのコンドリュー、そして、コート・ロティの中心のアンピュイ辺りとされています。

伝説では、3世紀のローマ皇帝のプロブスが、2世紀前の同じくローマ皇帝ドミニティアヌスが発布したブドウ樹の抜根の政令をひっくり返して、ヴィオニエを持ち込んだといわれます。そして、その起源はクロアチアのダルマチア地域で、ヴガヴァで知られている品種だというのです。

ロマンを感じる話ですが、残念ながら歴史的な証明はできていませんし、ヴガヴァもヴィオニエとはDNAが合致しませんでした。

名前の方も、ローマ時代に遡って、栽培が難しいからという事で、ラテン語で地獄の道、「ウィア・ゲヘナ」から来ているという説もあります。また、コート・ロティのすぐ北にあるローマの統治を受けたヴィエンヌが由来であるという説もありますが、いずれも確証には欠けます。

もう一歩で、絶滅したかも知れないというこの品種が生き残ったのには、それなりの理由があります。品質的に高い評価が背景にあったのです。14世紀に、ローマ教皇がアヴィニョンに居住した時代には、歴代の教皇からの庇護を受けたと伝えられます。

また、20世紀に入ってからも、モーリス・エドモン・サイヤン、別名キュルノンスキーと呼ばれ、食通の王と称された美食評論家からも高い評価を得ています。世界最高の5大白ワインの一角に、北ローヌの最高のヴィオニエのワインを産出するシャトー・グリエを選んだのです。

他には、泣く子も黙る、ブルゴーニュのモンラッシェ、黄色ワイン最高峰のジュラのシャトー・シャロン。そして、ボルドーの甘口ワイン特別第1級のシャトー・デュケム。今では、ビオディナミ伝道者のニコラ・ジョリーで有名なロワールのクーレ・ド・セランと錚々たる顔ぶれです。

しかし、今は、北ローヌでこそ白ブドウ用のスター品種には返り咲きましたが、シャルドネやソーヴィニョン・ブランに匹敵するまでの知名度はありません。同じローヌでも、南ローヌに行けば、ブレンド用の、その他大勢の品種の一つ。シャトーヌフ・デュ・パプでの認可品種にさえ入っていないのです。栽培面積の大きいラングドックでも、アペラシオンの主要品種には、なっていません。

2. ヴィオニエは、不死鳥のごとく

労働環境厳し過ぎ!

ヴィオニエの苦労は、元々、フィロキセラの被害と二つの大戦から立ち直れていなかったところに、端を発します。そして、更には、コンドリューの急峻な斜面で作業をする労働力の確保や、低収量などの課題が重くのしかかったのです。労働者たちは、リヨンやヴィエンヌの都市部に、より良い仕事を求めました。

コンドリューの急峻な葡萄畑

1968年当時、栽培されていたのは、殆どコンドリューとシャトー・グリエだけ。たった、14ヘクタールの栽培面積しか無くなってしまい、文字通り絶滅の一歩手前だったのです。

その後も、1980年代後半に至るまで余り状況は改善しませんでした。地元の栽培農家たちは、チェリーやアプリコットなどの果物や野菜といった、首都圏で良く売れる農作物を複合栽培して、なんとか生計を立てました。

ところが、1990年代にあっという間に栽培面積が増えて、2016年には、フランス全土で、9千ヘクタール弱の栽培面積を有するまでに!

1990年代は、欧州ではワインの過剰生産対策で、ブドウ樹の抜根が奨励されていました。80年代末からの10年間で欧州全体の1割が抜根された時代です。

こうした逆風さえ吹く中で、ヴィオニエが大きく栽培面積を増やしたわけです。いったい、何があったのでしょうか?

ヒーローの登場

お隣のイタリアでも、20世紀には、同じような不幸に見舞われたブドウ品種がありました。カンパーニャのワインで、ボディが厚くて華やかな、どこかヴィオニエにも似た、白ワインのフィアーノ。ピエモンテでも、今はすっかり人気を取り戻した、骨格がしっかりしたティモラッソ。いずれも、大きく生産量を落とした時期があります。

これらのブドウ品種が生き延びるには、アントニオ・マストロベラルディーノやウォルター・マッサというヒーローの登場が必要でした。同じように、ヴィオニエのサクセス・ストーリーにも、ヒーローたちが登場します。

コンドリューでは、ジョルジュ・ヴェルネイが主導的な役割を担い、ヴィオニエの救世主とも法王とも呼ばれます。20世紀後半の30年間は、生産者組合の会長も務めました。他の生産者たちがブドウ畑を捨てて行ってしまう中で、石垣のテラスを補修して、ヴィオニエを植樹。地域の生産者たちを鼓舞しました。そして、この地でワイン造りを志す若者たちも集まって、急峻な斜面での改植も進んでいくのです。

こうして活気づいたコンドリューの勢いは、南フランスのラングドックや海外の新世界のワイン産地にも伝播していきます。

オーストラリアでは、1980年にイーデン・ヴァレーで、商業的なレベルで初のヴィオニエの植樹が成功します。

カリフォルニアではDRCで修行をしてカレラを創業したジョシュ・ジェンセン、ボルドー・スタイルの赤ワイン、「インシグニア」で知られるジェセフ・フェルプスといったカリスマ生産者たちが1980年代にヴィオニエの栽培を始めます。

シャトーヌフ・デュ・パプの有名生産者シャトー・ボーカステルとの合弁、タブラス・クリーク。1992年に植樹した区画は、今では、カリフォルニア最古となりました。

南アフリカでも、フェアヴューのチャールズ・バックが90年代に入ってヴィオニエのワインを販売開始します。

こうして、世界では1万5千ヘクタールを超える栽培面積が広がり、絶滅の心配が無くなったのは勿論のこと、消費者が手軽に手に取ることができるようになりました。

3. 白ブドウのピノ・ノワール?:ヴィオニエの栽培と醸造・どこが難しいの?

収穫の窓

ヴィオニエのワイン・スタイルは、豊かな香りだけでは無くて、その骨格にもあります。アルコールは高め、ボディはふくよか、そして酸はおだやかというのが典型的なスタイルです。糖度は高くなるブドウ品種なので、13%以上のアルコールは全体のバランスから必要です。

果実の成熟は、中庸からやや遅め。ですが、話はそれほど簡単では無いのです。いわゆる、「収穫の窓」の問題があります。

早摘みから遅摘みまで含めた収穫期間の内、魅力的な香りを放ち、最高の熟度を併せ持つブドウの収穫タイミング。収穫の窓が、ヴィオニエの場合は狭いのです。

この背景の一つにあるのは、生育期間の平均気温。17℃弱から19℃弱と、同じような温暖な産地に適応するマルベックやメルロに比べて、適温の範囲が狭いのです。その点では、冷涼な気候で育つピノ・ノワールと似ています。

こうしたブドウの特徴を理解した上で、高品質なワインを造ろうと生産者たちは額に汗します。

糖度は高く、酸は低いという特徴がありますから、果汁糖度が上がるのを待って収穫するよりは、早目に収穫して酸を残した方が良いという考え方があります。一方で、ブドウの果皮が厚いために、フェノール類が豊富。ですから、十分な成熟期間を取って、味わいの多様性やこなれた触感が得られるようにすることも大切です。

糖度が上がったからといって、早く収穫してしまうと、味わいが不満足なものになると、世界の生産者たちが口をそろえます。青臭さが出て、風味も不十分になると。逆に、収穫が余り遅くなると、美しい香りを失い、重く締まりがない味わいになってしまうとの声も。収穫の窓を常に、注意深く観察し続ける必要があります。

栽培と収量

コンドリューは痩せた花崗岩土壌が中心。表土は、アルゼルと呼ばれる、風化した花崗岩や片岩、雲母が混ざった砂質が特徴的です。コンドリューやシャトー・グリエの急峻な斜面では、垣根か棒仕立てを使います。樹勢は中程度から低めですから、栽培密度は高く取れます。

アペラシオン上、コンドリューで、植栽密度はヘクタール6,500本、収量はヘクタール当り最大41ヘクトリットル。シャトー・グリエでは、植栽密度は8,000本、ヘクタール37ヘクトリットルと厳しくなります。現実には、アペラシオンの規定よりも、更に高い植栽密度や低収量になるのも普通です。逆に、収量が40ヘクトリットルを超えると、香りが立ちにくくなるともいわれます。

ボルドーで、最高の白ワインを生むアペラシオンとして有名なペサック・レオニャンでさえ、収量は最大54ヘクトリットルです。単純に収量だけを比較してはいけませんが、如何にコンドリューやシャトー・グリエは低収量で有るかがわかります。

低収量に追い打ちをかけるのが、霜害や病害です。芽吹きが早いので、春の霜害の影響を受けます。果皮は厚いので、灰色カビ病には被害を受けにくいのですが、うどんこ病や花ぶるいには弱く、収量が落ちます。

このように収量は低い上だけでなく、予測し難いともいわれます。

しかし、水分ストレスには比較的強いので、カリフォルニアやラングドックの気候には、上手く適用しています。温暖な地中海性気候に恵まれたラングドックでは植栽密度は、4,000本、収量も60ヘクトリットルと緩やかな規定です。これが、地理的表示保護(IGP)のペイ・ドックになると、最大収量制限は、90ヘクトリットルと極めて緩やかになります。

クローンと台木

フランスのクローンでは3種類が良く知られています。最も古い、ENTAV-INRA® 642は収量が高く、香りが弱いといわれています。2000年代に入ってから認定された、1042や1051は、糖度も酸も高く、収量は落ちるものの品質が優れています。

カリフォルニアでは、ブドウ樹のクローンを管理しているFPS、カリフォルニア大学デイヴィス校の付属機関では、1970年代のフランス起源のFPS01が最初に登録されています。面白いのは、1980年代以降にローヌ地方から、ルーサンヌだと思って苗木を持ち込んだら、実はヴィオニエだった!という経緯があります。このお蔭で増えたクローンが、FPS02,03, 04です。

オーストラリアには、フランスから、モンペリエ1968が最初に輸入されますが、ブドウ葉巻病のウィルスに感染していた為、熱処理を施してHTKというクローンが生まれます。

ワインを語るとき、果実をつける穂木のクローンの話に興味が集中しがちですが、台木も、とても重要でブドウ樹の健康な生育を左右します。

もともとは、19世紀後半に欧州を襲ったフィロキセラの対策として導入された台木ですが、今では、土壌の成分や肥沃度、水はけや病害への耐性も考慮されて、台木の種類は決められています。

北ローヌでは、ベルランディエリとルペストリスの交雑 110Rが良く使われます。水分ストレスに耐性があり、乾燥した岩がちな土壌にも適性があります。

カリフォルニア沿岸部の、深い沖積土壌で栽培される場合には、肥沃な土地にも適合するベルランディエリとリパリアの交雑のSO4や、リパリアとルペストリスの交雑101-14Mgtなどが使われます。

醸造と熟成

香り高い品種ですから、持ち味を活かす為に、ステンレス・スチールのタンクを発酵、熟成に使う事が、理にかなっています。余り、好気的(酸化的)な造りをすると、折角の香りを損なってしまいます。

もちろん、木樽を使って発酵を行う生産者もいますが、多くの生産者は新樽を余り使用しません。新樽を重用するのは、新世界の生産者や、北ローヌでは高級なキュヴェ。それでも、新樽比率は5割以下が普通です。

例外はギガルで、最高のキュヴェ、「ドリアーヌ」は、発酵も熟成も100パーセントの新樽使用。香りだけで無く、骨格がしっかりしていて、樽に負けないといわれます。

アロマティックな品種は、発酵前に、スキン・コンタクトをして、香り成分を多く抽出することが良くありますが、ヴィオニエは注意が必要です。ヴィオニエの果皮はフェノール類に富んでいますので、好ましくない苦みにも繋がりかねないからです。

熟成中に沈殿した澱を攪拌するバトナージュも行われていますが、そもそも豊かなボディを持つヴィオニエが、更に厚みを増して、重くなってしまう為に、昔よりは控えめになっているようです。

オーストラリアのヤルンバは、苗木研究所や、樽工房までを保有。先進的な取り組みで名声を獲得しましたが、当初、ヴィオニエを造り始めた頃は、早摘みや低温発酵など様々な試みをするものの、悪戦苦闘の日々だったようです。

瓶熟成も、一部の北ローヌの高級キュヴェを除けば、長期熟成を前提とはしません。果実から来る香りの高さを楽しむ為にも、2~3年の内で飲むことが一般的です。

また、北ローヌでは、単一品種のワインで知られていますが、南ローヌやカリフォルニアでは、他の白ブドウ品種とのブレンドも見られます。

コンドリューでは、その昔は、甘口ワインを11月頃に収穫した過熟ブドウから造っていました。現在では、アペラシオンの数パーセントと極めて稀なワインとなっています。一般的には、発酵を冷却して止めて残糖を残す手法で造られますが、一部の生産者は昔のように、自然に発酵が止まり、残糖が残るのを待ちます。他方、オーストラリアの生産者には、早目の収穫で酸を維持した上で、発酵を止めて、やや辛口のワインを造る生産者もいます。

このように、栽培にも醸造にも、ヴィオニエのワイン造りには、絶妙なバランスが必要とされるのです。

4. 香りの高さの秘密:鍵はアプリコット

比較的、早飲みであるという特徴は、このワインが持っている香りの鍵となる化学成分とも関係があります。

リナルールゲラニオールといった化合物、モノテルペン類は、マスカットや花などの香りを生み出しますが、ヴィオニエでは、この品種のトレードマーク、豊かなアプリコットの香りに感じるのです。いかにも分かり易いアロマティック品種のブドウ、マスカットやアルゼンチンのトロンテスには遠く及ばないものの、それに準じたモノテルペンの濃度を有する、セミアロマティックな品種です。

モノテルペンは、ブドウの成熟期の最後の1か月程度で大きく増加します。ですから、収穫時期をいつにするかは、とても重要なわけです。この他にも、気温、日照、樹冠管理などによって、この成分は質量ともに変化します。暖かい気候で、ブドウに上手く日照が取れると、モノテルペンの濃度は上がっていきます。

一方で、発酵して短期間の熟成を経た後には、こうした成分は大きく失われていくことが知られています。ですから、一部の高級キュヴェを除けば、長い瓶熟成では、得られるものより失うものの方が多いといえます。

5. ヴィオニエは、シラーと仲良し!ブレンドじゃなくて混醸?

コート・ロティでは、20パーセントまでヴィオニエをシラーに加えられます。この伝統に倣って、オーストラリアやカリフォニアなどの新世界の生産者も、ヴィオニエをシラーに添加することが、ひとつのスタイルとなっています。

ここで、押さえておきたいのは、コート・ロティではアペラシオンの規定で、二つのブドウを、発酵が終わった後にブレンドすることはできません。あくまでも、一緒に発酵をさせる、混醸が認められているものです。

ヴィオニエは、サヴォワの土着品種、モンドゥーズ・ブランシュと親子関係が有って、シラーとは血縁関係があります。栽培されてきた地域も重なり、歴史的に混植されていました。それがそのまま、ごく自然に、混醸されていたことも背景にあります。

最近は、北ローヌではヴィオニエの混醸は鳴りを潜め、逆に、新世界のワイン産地でこのスタイルを踏襲する生産者が目立っています。理屈としては、シラーの香りを高めるという点が主流のようです。シラーのベーコンやペッパーに、ヴィオニエのエキゾチックな香りが、良い相性だと、有名生産者たちが、5パーセント前後の混醸を行っています。

更に、この混醸はシラーの発色を良くするという話も聞きます。本当なのでしょうか?

果皮からの抽出されるポリフェノール成分で、白ワインの色合いの変化に影響を及ぼすフラボノール。このフラボノールが発色補助因子として、シラーのアントシアニンに結合することで色素の安定性が高まり、発色が良くなるというのが背景にある理屈です。

しかし、公表されている研究結果では、100パーセントのシラーと、5パーセントのヴィオニエを混醸したシラーでの発色に有意な差は認められませんでした。更には20パーセントのヴィオニエ混醸では逆に、フェノール類は希釈されてしまったと発表されています。

ワインの色合いは、他にも、亜硫酸やpHの影響など様々な要素が絡み合います。ですから、この研究結果を結論と断定するのは時期尚早かも知れません。ですが、シラーとヴィオニエの混醸が色合いの安定化に寄与するという説を信じるのは、少し様子見した方が良いかも知れません。

また、香りの効果の方にも、けちを付ける生産者もいます。シラーに合わせた30度近い高い発酵温度では、白ブドウのヴィオニエの香りはだいぶ飛んでしまうので、混醸の効果は薄いというのです。

実際、新世界でのヴィオニエ活用の流れを尻目に、本家本元のコート・ロティではシラー100パーセントが主流になって来ています。ヴィオニエの混醸は歴史的な遺物になってしまうのでしょうか。

6. ヴィオニエの主要産地

コンドリュー

温和な大陸性気候に冷涼な北風のミストラルが吹き降ろすローヌ渓谷。強風はかび病を減らす一方で、収量が上がらない原因にもなります。それでも、コンドリューは南向きの斜面に恵まれています。

1967年にコンドリューは南側にアペラシオンが延長され、元々の3つの村、コンドリュー、ヴェラン、サン・ミシェル ・シュール・ローヌに新しくマレヴァル、シャヴァネ、サンピエール ド ブフ、リモニィの4つの村が加えられました。

そして、90年代には、コンドリューの南に位置するアペラシオン、サン・ジョゼフの産地が拡大された為、双方のアペラシオンが重なっている地区が出現しました。ヴィオニエからでも、マルサンヌとルーサンヌからでも白ワインが造れて、更にシラーの赤ワインも造れるということになります。

一方、1986年には、最高の畑だけでブドウ栽培が行われるようにと、300メートル以上の標高で栽培されたブドウは、IGPに回されることになりました。

シャトー・グリエ

17世紀に遡る歴史を持ったシャトー・グリエはコンドリューに囲まれた、わずか4ヘクタールにも満たないクリュです。ボルドーのシャトー・ラトゥールのオーナーでもあり、グッチも傘下に収めているフランソワ・ピノーが現在の所有者。

ローヌで唯一のモノポール。このアペラシオンのワインはたった一つの生産者、ヴィニョーブル・ド・シャトー・グリエが生み出すのです。

シャトー・グリエとして販売する品質には至らないワインは、コート・デュ・ローヌに格付けを落とします。そして、更には、シャトー・グリエに隣接するコンドリューの畑を取得。2017年のヴィンテージから、コンドリュー「ラ・カルテリー」を生産。広域から希少な格付けのシャトー・グリエ迄、ラインアップを拡充しました。

ラングドック

気候も良く、収量も安定している地中海性気候に恵まれたラングドック。フランスのヴィオニエの半分近くの栽培面積を有します。手頃な価格で品質の高いワインも産出しています。この産地で18世紀に遡る歴史を持つ生産者のミケル・ファミリーが、1992年にヴィオニエを初植樹。また、この産地は、IGPワインである、ペイ・ドックの一大産地でもあります。ミケル・ファミリーはこのペイ・ドックを供給する有数のワイン生産者です。

ラングドックの階層

イタリア

イタリアは、1,827ヘクタールと世界第2位の栽培面積を有し、その9割近くがシチリアで栽培されています。ヴィオニエの90年代以降の、ローヌ地方やラングドックでの盛り上がりに続き、2000年代に入って急激に栽培面積が伸びました。

シチリアはイタリアで最大のブドウ栽培面積を持ちます。そうした産地で、ヴィオニエは、カタラットやグリッロ、インツォリアなどの地元のブドウ品種に埋もれて、余り知名度は高くはありません。でも、こうした品種とのブレンドや単一品種のワインとしても出回っています。

オーストラリア

ヴィオニエは765ヘクタールの栽培面積を有します。生産量の大きさでは、内陸の温暖なワイン最大産地、リヴァーランドが随一。ですが、注目すべき銘醸産地としては、イーデン・ヴァレーを押さえておきたいですね。オーストラリアのヴィオニエのベンチマークともいわれるヤルンバが最初にヴィオニエを植樹した産地で、バロッサ地区の中でも標高が高く、冷涼でリースリングでも有名な産地です。ヤルンバの土壌は、粘土質の上に、灰色のローム土壌です。

アメリカ

カリフォルニアは、全米最大の栽培地で、千ヘクタールほどの栽培面積が広がっています。アメリカにおけるヴィオニエ発祥の地であるセントラル・コーストが主流ですが、ナパやソノマでも栽培されています。ワインは果実味豊富で、トロピカルフルーツも感じ、樽の使用も良く見られます。

普段は、余り日本の消費者にはなじみがない、ヴァージニアもヴィオニエの産地としては注目です。2011年には、ヴァージニア州の公式ブドウ品種と定められました。温暖な気候で、長く暑い夏がじっくりとヴィオニエに香りと味わいの深みを与えてくれます。1990年にホートン・ワイナリーがヴィオニエを植樹。93年のヴィンテージが高い評価を受けました。

南アフリカ

フェアヴューのチャールズ・バックが、1989年にヴィオニエの最初の苗木をパールに持ち込みます。パールは今やヴィオニエの最大産地。西ケープ州で有名な、風化した花崗岩土壌を持つ、やや内陸に入った産地です。南東からの強風、ケープ・ドクターが湿気を払い病害からブドウ樹を守ります。

チャールズ・バックは業界の重鎮。彼が90年代末にスワート・ランドで立ち上げたスパイス・ルートでは、今の南アフリカのトレンドを代表するイーベン・サディを見出しています。

7. まとめ

ヴィオニエの再起を巡るサクセス・ストーリーは如何だったでしょうか?

華やかなワインのイメージとは裏腹に、逆境に負けないヒーローの頑張りといった、ちょっと汗臭い物語もありました。また、その後の世界的なブレイクに繋がる、生産者たちに徐々に伝わっていく、うねりの様子はどう感じられましたでしょうか?

栽培や醸造での生産者たちの苦労を共有して、一杯のワインをしみじみと味わい、フランスやカリフォルニア、オーストラリアなどの産地に想いを馳せてみるのも一興です。

収量や混醸の話は少し、難しい点もあったかも知れません。実際に、ヴィオニエを造っている生産者にお会いして実地に話を聞いてみるのが一番。きっと、様々な発見があると思います。それまでに、もう少しだけ勉強。テイスティングも色々しておきましょう。

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