ヴォーヌ・ロマネ~黄金丘陵の極み、「丘の真珠」を徹底解剖

フランス・ブルゴーニュ地方の心臓部であるコート・ドール地区には、ワイン愛好家らが憧憬する村々が連なっています。いずれも個性あふれる強者ぞろいですが、こと赤ワインに関する限り、トップの座はゆるぎません。その名はヴォーヌ・ロマネ (Vosne-Romanée) 。ピノ・ノワール種から造られる赤ワインの最高峰にて、老若男女その名を必ず耳にしている至高の銘柄、ロマネ・コンティ(Romanée-Conti)が生まれる村です(ロマネ・コンティとは、同名のワインを産む畑の名称で、ワインの銘柄名でもあります)。しかしながら、ヴォーヌ・ロマネ村で有名なのは、ロマネ・コンティだけではありません。ほかにも7つの「特級畑(グラン・クリュ)」たちが、この王を守るように位置していて、周辺には優れた14の「一級畑(プルミエ・クリュ)」が広がっています。これらのワインを造る生産者も、これまたブルゴーニュの頂点に位置する強力な蔵ばかり。本記事では、その尊さから「丘の真珠」と呼ばれもする、ヴォーヌ・ロマネを、深く掘り下げていきます。

本記事は、ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」が監修しています。ワインを通じて人生が豊かになるよう、ワインのコラムをお届けしています。メールマガジン登録で最新の有料記事が無料で閲覧できます。


【目次】
1. 概要: 地理的背景、アペラシオンの特性など
2. 特級畑: 絶対神ロマネ・コンティを含む8つの顔ぶれ
3. 一級畑: 特級畑に肉薄する卓越した存在も
4. 主要生産者: 二大ドメーヌを追いかける実力派たち
5. ヴォーヌ・ロマネのまとめ


1. 概要: 地理的背景、アペラシオンの特性など

ヴォーヌ・ロマネ AOC(Appellation d’Origine Contrôlée 統制原産地呼称)は、コート・ドール丘陵の北半分にあたるコート・ド・ニュイ地区に位置し、北のヴージョ村 (Vougeot) と南のニュイ・サン・ジョルジュ村 (Nuits-Saint-Georges) の間にあります。ブルゴーニュ地方にある、最も著名な畑の数々を結ぶ「特級畑街道」の一部です。同AOCは、ヴォーヌ・ロマネとフラジェ・エシェゾー (Flagey-Echézeaux) という、ふたつの村にまたがる畑を含んでいます(AOCの区分は、行政の市町村区分と必ずしも一致しません)。特筆すべきは、フラジェ・エシェゾーには独自の村名アペラシオンが存在せず、その村名畑および一級畑(一級畑)が、ヴォーヌ・ロマネAOCの一部として分類される点です。この事実は、ヴォーヌ・ロマネという名称が持つ歴史的および品質的な優位性を示唆していて、フラジェ・エシェゾーがふたつの特級畑や複数の一級畑で大きく貢献しているにも関わらず、そのアイデンティティがヴォーヌ・ロマネの傘下にあるのだとわかります。いずれも小さな村で、ヴォーヌ・ロマネの人口が350名、フラジェ・エシェゾーが500名ほどです。

ヴォーヌ・ロマネ AOCでは、ピノ・ノワール種を主体とした赤ワインのみが生産されます。規定上、シャルドネ、ピノ・ブラン、ピノ・グリ  を最大15%まで補助品種として使用できますが、実際にこれらの品種はまず使われません。ヴォーヌ・ロマネAOCの赤ワインは、豊かさ、力強さ、エレガンス、フィネス、そして複雑さのバランスが取れていると評され、絹のような滑らかなテクスチャー、豪奢ながらも洗練されたアロマ、加えての長期熟成能力アリと、全方位に向かって優越性を示しています。

AOCに認定されている面積は、村名格の畑が99ヘクタール、一級畑が57ヘクタール、特級畑が73ヘクタールで、合計229ヘクタール。コート・ド・ニュイ地区最大のAOCであるジュヴレ・シャンベルタンが、500ヘクタール以上あるのと比べれば、さほど大きいAOCではありません。しかしながら、特級畑が全体に占める面積比が高いのが特徴です。

テロワール(畑を取り巻く環境要因の総体)については、ほかのコート・ド・ニュイ地区の村々と、大きく変わる点はありません。最上の畑(特級畑と一部の一級畑)は、丘陵斜面の中腹にあって、土壌は粘土石灰質、おおまかにはどの畑も東南を向いています。もちろん、個々の畑の単位で見れば、ほかより表土が薄かったり、少し北向きで涼しかったり、水はけの良し悪しに差があったりといった違いがあり、各畑から生まれるワインの風味差につながっているのは事実です。そのため、全体として観察される「ヴォーヌ・ロマネらしさ」がどこから来ているのかを、個々の要素につなげて還元主義的に語るのは不可能で、そこはブルゴーニュの神秘だとしておくしかありません。

代表的な生産者リストは、詳しく語ろうとするとかなり長くなりますが、最上層のクリームを抜き出すと以下のような顔ぶれになります(各ドメーヌにあらましについては、後のセクションで述べます)。

  • ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ (Domaine de la Romanée-Conti – DRC)
  • ドメーヌ・ルロワ (Domaine Leroy)
  • ドメーヌ・メオ・カミュゼ (Domaine Méo-Camuzet)
  • ドメーヌ・エマニュエル・ルジェ(Domaine Emmanuel Rouget)
  • ドメーヌ・デュ・コント・リジェ・ベレール (Domaine du Comte Liger-Belair)
  • ドメーヌ・アンヌ・グロ (Domaine Anne Gros)
  • ドメーヌ・デュージェニー(Domaine d’Eugénie)

2. 特級畑: 絶対神ロマネ・コンティを含む8つの顔ぶれ

ヴォーヌ・ロマネAOCには、世界的に名高い8つの特級畑が存在します。そのうち6つはヴォーヌ・ロマネ村、ふたつは隣接するフラジェ・エシェゾー村です。これらの畑はそれぞれ独自のテロワールを持ち、個性豊かで最高品質のワインを生み出しています。

ロマネ・コンティ (Romanée-Conti)

数々の神話に包まれた、特級畑の頂点がこちら。もともとは、ローマ人がこの畑を拓いた史実から、「ロマネ」の名が付けまれました。周囲にある、「ロマネ」の語を含むほかの畑から、独立した区画として切り出されたのが1584年です。現在の名前になったのは、1760年、コンティ公と呼ばれていた、ブルボン朝のルイ・フランソワ一世に売却されてからでした。コンティ公は、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人と、この畑の所有権を巡って争い、競り勝ったという逸話がありますが、俗説の類いで、信憑性は高くありません。1942年以降、ロマネ・コンティの畑は民事会社であるドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(以降、DRCと表記)が、単独所有しています。DRCを所有・経営するのは、ド・ヴィレーヌ家と、ルロワ/ロック家というふたつの一族です。

ロマネ・コンティを囲む石垣に埋め込まれた畑名プレート

ヴォーヌ・ロマネ村にあり、西にはラ・ロマネ(La Romanée)、北にはリシュブール (Richebourg)、東にはロマネ・サン・ヴィヴァン(Romanée-Saint-Vivant)、南にはラ・グランド・リュ(La Grande Rue)と、特級畑群の中心に位置します。面積は1.81ヘクタールと小さく、毎年ここから生まれるワインは、たった6000~8000本しかありません。このわずかな本数を、世界中の富裕層が争って取り合うのですから、極端な需給バランスの悪さから価格が釣り上がります。今日では、750mlボトル1本に、高級車が買えるほどの値段が付けられていて、「普通の人」にはとても手が出ません。

ブルゴーニュ産ピノ・ノワールの赤ワインは、タンニンが強健なボルドーの赤と比べて、寿命の面では劣るとされますが、ロマネ・コンティは例外。優れた作柄の年ならば、50年は軽く熟成します。なお、1946~1951年までの6ヴィンテージについては、寄生虫フィロキセラにやられたブドウ樹をすべて植え替えたため、ロマネ・コンティのワインは生産されませんでした。上記ヴィンテージのラベルが貼られている、ロマネ・コンティのボトルはすべて贋物なので、注意しましょう。

ロマネ・コンティの風味については、その長い歴史の中で多くが語られてきました。共通項として浮かび上がるのは、「ヴォーヌ・ロマネの特級畑産ワインの中で、最も強い存在ではない」という特徴でしょう。同じヴィンテージを並べて飲むと、たいていラ・ターシュや、リシュブールのほうが、より腰が強く、色も濃いのです。かつて、DRCの共同経営者であったラルー・ビーズ・ルロワは、「ロマネ・コンティが最も偉大なブドウ畑だとわかるまで、20年かかった」という言葉を残しており、それまでは決まってラ・ターシュを好んでいたと、アメリカ人ワイン評論家のマット・クレイマーに告白しています。クレイマーは、ロマネ・コンティが唯一無二なのは、それが「完璧な球体」だからだと、著書の中で表現しました。

ラ・ターシュ (La Tâche)

ロマネ・コンティの弟的な特級畑が、ラ・ターシュです。同じく、DRCが単独所有しているのもあって、ヴォーヌ・ロマネAOCにおいては、ナンバー2の地位にあります。まるで打ち上げ花火のような絢爛豪華さと、力強さを兼ね備えたワインです。寿命の長さではロマネ・コンティにかないませんが、ブラインド・テイスティングではしばしば、偉大な兄を打ち負かします。畑の位置は、ロマネ・コンティの南、ラ・グランド・リュの北。東、南、西は主に一級畑畑に接しています。面積は6.06ヘクタールと、ロマネ・コンティの3倍以上あるので、少し希少度は下がります(それでももちろん、価格は桁外れに高いです)。もともとは別だったいくつかの畑を、寄せ集めてひとつの畑にし、今日の姿になりました。

ラ・ターシュのラベル。DRCのワインはすべてこのデザイン

名前の由来は、その昔この畑で小作人たちを、「区画面積に応じた支払い(à la tâche)」で雇っていたから。「タシュロン(tâcheron)」と呼ばれる小作人には、時間給ではなく、管理する面積に応じて1年の給与が支払われていました。

ラ・ロマネ (La Romanée)

ロマネ・コンティから見て斜面上方、西隣にあります。北はリシュブール、南はラ・グランド・リュ、上方は一級畑のオー・レニョです。面積は、ロマネ・コンティの半分以下の、0.85ヘクタールしかなく、フランスで最も小さなAOCになります。生産本数が少なすぎて、ロマネ・コンティ以上に「幻」の存在です。もともとは、ロマネ・コンティと一体になっていた畑ですが、今日こちらはDRCではなく、ドメーヌ・コント・リジェ・ベレールが単独所有しています。21世紀の初めまでは、所有のみがコント・リジェ・ベレールで、ワイン生産は別のワイナリーが担当していました(耕作から醸造までをドメーヌ・フォが、熟成から瓶詰め・出荷までをブシャール・ペール・エ・フィスが)。2005ヴィンテージ以降は、復活を遂げた名門コント・リジェ・ベレールが、耕作から瓶詰め・出荷までを一貫して行なうようになり、ラ・ロマネの名声はさらに高まっています。ワイン造りの担い手が変わってから、まだ四半世紀も経過していないため、この畑の一貫した風味の特徴を語るには時期尚早ですが、ロマネ・コンティに匹敵する優雅さ、繊細さを有すると評する者は少なくありません。

リシュブール (Richebourg)

上記3つの単独所有畑に次ぐ存在として名前があがるのが、このリシュブールです。位置は、ロマネ・コンティの北、ロマネ・サン・ヴィヴァンの西になります。生まれてくるのは、筋肉質で凝縮感が強く、色も濃いワインです。面積は8.03ヘクタールと、まずまずの大きさがあります。11名が分割所有していて、DRCが最大所有者ですが(3.51ヘクタール)、ルロワ(0.78ヘクタール)、アンヌ・グロ(0.60ヘクタール)、メオ・カミュゼ(0.34ヘクタール)と、豪華すぎる面々です。そのため、リシュブールの造り手違いの水平試飲は、目がくらむような体験になります。かつては、伝説の栽培醸造家、故・アンリ・ジャイエ(Henri Jayer)も、メオ・カミュゼからこの畑の区画を借りて、ブドウを育てワインを生産していました。

ライバル関係にある二大ドメーヌ、DRCとドメーヌ・ルロワが、ともに区画をもつのがこの畑と、次に述べるロマネ・サン・ヴィヴァンで、いつもバチバチと火花が散っています。流通価格では、生産本数の少ないルロワに軍配が上がりますが、味わいはがっぷり四つ、なんとも甲乙付けられません。

ロマネ・サン・ヴィヴァン (Romanée-Saint-Vivant)

リシュブールの兄弟のような存在が、このロマネ・サン・ヴィヴァンです。ロマネ・コンティとリシュブールの東隣(斜面下方)にあり、村の集落に一番近い特級畑になります。リシュブールが剛のワインなら、ロマネ・サン・ヴィヴァンは柔のワイン。強さではリシュブールにかないませんが、アロマやブーケの気品ある華やかさ、テクスチュアの優美さ、繊細な余韻の長さは比類がありません。面積は9.44ヘクタールと、リシュブールと大差なく、10名の持ち主がいます。ここでも、DRCが圧倒的な最大所有者(5.29ヘクタール)ですが、好敵手ルロワもまずまずの面積(0.99ヘクタール)を。このほか、ポンソ(0.49ヘクタール)、デュジャック(0.17ヘクタール)といった、他村の名手もこの畑に区画を有しています。

ロマネ・サン・ヴィヴァンの南東部、収穫のあと

畑名の由来は、紀元4世紀を生きたキリスト教の伝道者、聖ヴィヴァンティウスです。ヴォーヌ・ロマネ村から北西に5キロほどの距離にある村、ヴェルジには、この聖人の名を冠した修道院(サン・ヴィヴァン修道院)があります。同修道院は、12世紀から13世紀にかけて、ヴォーヌ、フラジェ両村にまたがる複数の畑を貴族から寄贈されました。その中に入っていたのが、ロマネ・サン・ヴィヴァンや、ロマネ・コンティの畑です。サン・ヴィヴァン修道院は、最近まで朽ち果てた廃墟のようになっていましたが、現在はDRCが主体となって修復作業を進めています。

ラ・グランド・リュ (La Grande Rue)

北のロマネ・コンティおよびラ・ロマネ、南のラ・ターシュという、3つの単独所有畑に挟まれた、東西に細長い区画です。面積は、1.65ヘクタールと、ロマネ・コンティをわずかに下回る小ささで、こちらもドメーヌ・ラマルシュ(Domaine Lamarche)が単独所有する畑になります。ラマルシュ家が、ラ・グランド・リュを手に入れたのは1933年です。位置関係からして、偉大にならざるをえない畑であるにも関わらず、特級畑に認定されたのは、1992年と比較的最近でした(1991ヴィンテージから特級畑をラベル上で名乗っています)。AOC制度が発足した1930年代、ラ・グランド・リュが一級畑としてしか認められなかったのは、所有者であるラマルシュ家のワイン造りが拙かったためのようです。1990年代以降、少しずつ品質改善の道を歩んでいるようですが、いまだ周囲の特級畑より二段も三段も低い評価で、価格も相応なので、「なんだかすごくもったいない」と、世界中のブルゴーニュ・ラヴァーが感じています。ブルゴーニュワインの権威であるジャスパー・モリスは、2010年に行なわれた過去15ヴィンテージの垂直試飲ののち、「赤系果実の風味に、かすかなオレンジの花の香り」と、この畑のワインに共通する特徴を描写しました。

グラン・ゼシェゾー (Grands Échézeaux)

ここからふたつは、フラジェ・エシェゾー村内の特級畑です。グラン・エシェゾーは、グラン(大きい)という形容詞がついているものの、面積は小さいほうで、9.14ヘクタール。グランの語は、「偉大な」という意味なのかもしれません。フランス革命以前は、レ・エシェゾー・デュ・バ(斜面下部のエシェゾー)と呼ばれていましたが、19世紀に入ると現在の名前で呼ばれるようになりました。「バ=下の」という言葉が、品質の高低を意味していると受け止められるのを、畑の所有者たちが嫌った結果でしょう。

位置は、西側にある特級畑エシェゾーと、東側にあるヴージョ村の大きな特級畑、クロ・ド・ヴージョ (Clos de Vougeot) の間です。14名の所有者が分け合っているのですが、最も大きなパイは、ここでもDRCが持っていっています(3.53ヘクタール)。ほかの持ち主の中で、大スターと言えるのは、ドメーヌ・デュージェニー(0.50ヘクタール)ぐらいでしょうか。とはいえ、その大きさゆえに区画による品質差が小さくないエシェゾーと違って、グラン・エシェゾーのテロワールは比較的均質です。ワインも、バラツキのあるエシェゾーと比べてよりリッチ、骨格も強健で、凝縮感があると評価されています。

エシェゾー (Échézeaux)

ヴォーヌ・ロマネAOCでは最大の特級畑で、総面積は37.69ヘクタールです。フラジェ・エシェゾー村にあって、北はシャンボール・ミュジニ村、南はヴォーヌ・ロマネ村の一級畑、東の一部はクロ・ド・ヴージョに隣接します。畑の大部分はかつて、隣のクロ・ド・ヴージョの畑と同じ、シトー派の修道院が所有者でした。フランス革命後には、小作人に払い下げられ、代替わりにともなう分割相続が繰り返され、非常に多くの所有者がいるのもクロ・ド・ヴージョと同じです。約50ヘクタールあるクロ・ド・ヴージョとこれまた同じく、広さゆえにそのテロワールが均質ではなく、全部で11ある小区画(リュー・ディ)は、明らかな優劣差があるとされます。ひとりの造り手が、ひとつの小区画のみを所有している場合と、複数の小区画を所有していて、ブレンドしてひとつのワインにしている場合があり、これもクロ・ド・ヴージョと同じ、なかなか有り様は複雑です。したがって、「エシェゾーらしさ」を一口に語るのは難しいでしょう。

造り手の腕が、テロワールの格差を飛び越える事例も少なからずあります。たとえば故・アンリ・ジャイエ(現在はその甥のエマニュエル・ルジェ)が仕込んでいたブドウは、レ・トゥルー、レ・クリュオ、クロ・サン・ドニという3つの小区画から来ていますが、レ・トゥルー、クロ・サン・ドニのテロワール評価は決して高くありません。

最大所有者は、ここでもやはりDRCです(4.67ヘクタール)。ヴォーヌ・ロマネの他の高名な造り手としては、エマニュエル・ルジェ、アンヌ・グロ、デュジャック、コント・リジェ・ベレール、デュージェニー、メオ・カミュゼら。他の村に居を構えるドメーヌとして、オスピス・ド・ボーヌ(Hospices de Beaune)、ドニ・モルテ(Denis Mortet)、ジョルジュ・ルーミエ(Georges Roumier)らがいます。

3. 一級畑: 特級畑に肉薄する卓越した存在も

ヴォーヌ・ロマネAOCには、14の一級畑(プルミエ・クリュ)があります。すべてがその格付けに相応しいテロワールの潜在性を備えており、うち半数程度は特級畑に格付けしてもよいぐらいです。ここでは、「ほぼ特級畑」とでも呼ぶべき、一級畑内のパワー・エリートたちを3つ、ご紹介します。

レ・ボー・モン (Les Beaux Monts / Les Beaumonts)

ヴォーヌ・ロマネ村とフラジェ・エシェゾー村の境界にまたがり、西側が特級畑エシェゾーに、南は一級畑オー・ブリュレに接する畑です。面積は11.4ヘクタールあり、斜面上部のレ・ボー・モン・オー (Les Beaux Monts Hauts) (約3.6ヘクタール) と、下部のレ・ボー・モン・バ (Les Beaux Monts Bas) (約7.8ヘクタール) というふたつの小区画に分けて語られます。格付け以上と評価されるのは、標高が他の特級畑と同じ帯にある、レ・ボー・モン・バみのみです。標高がより高いレ・ボー・モン・オーは、そのぶん冷涼で、ワインも少し軽いスタイルになります。20名弱と持ち主は多いですが、最大所有者はドメーヌ・ルロワ(2.61ヘクタール)、ほかのトップ級はエマニュエル・ルジェ、他村の造り手ではデュジャック、セシル・トランブレイ(Cécile Tremblay)などです。

オー・ブリュレ (Aux Brûlées)

名前のブリュレは、「焼けた、焦がれた」の意味で、日照に恵まれ、ブドウがよく熟する立地条件を備えているのが暗示されています。実際、この畑から生まれるピノ・ノワールは、非常にリッチ、濃密な味わいです。面積は4.53ヘクタールで、北側が一級畑レ・ボー・モン・バの小区画、南側には特級畑リシュブール。持ち主は1ダースほどいて、最大所有者はドメーヌ・デュージェニーで(1.14ヘクタール)、次いでメオ・カミュゼ(0.73ヘクタール)、ドメーヌ・ルロワも0.27ヘクタールとわずかながら区画を保有しています。

クロ・パラントゥ (Cros Parantoux)

伝説の人、アンリ・ジャイエが1950年代前半に開墾し、再度ブドウを植えた一級畑です。アンリ・ジャイエについては、こちらの記事をご覧ください。

リシュブールの真西(斜面上方)にあります。アクセスがしにくい立地のために一時は打ち棄てられていて、ブドウではなくキクイモが栽培されていたのは有名な逸話です。アンリ・ジャイエが有名にし、この天才醸造家を象徴する畑になりました。総面積1.01ヘクタールというごく小さなブドウ畑で、現在はジャイエのふたりの後継者であるエマニュエル・ルジェ(0.72ヘクタール)、メオ・カミュゼ(0.30ヘクタール)が分割所有しています。アンリ・ジャイエが瓶詰めした初ヴィンテージが1978、最後が2001、メオ・カミュゼの初ヴィンテージが1985、エマニュエル・ルジェが1989です。現代にこの畑からワインを仕込んだのが、「ピノ・ノワールの神」およびその弟子ふたりだけだという事実も、名声(および価格)が並の特級畑をしのぐ一因になりました。際立ったミネラル感と、冷たく鋭い切れ味を感じさせるワインで、強い凝縮感がありつつも、驚くほどのエレガンスとフィネスを備えていると評されます。

4. 主要生産者: 二大ドメーヌを追いかける実力派たち

ヴォーヌ・ロマネの卓越したテロワールをワインとして表現するためには、生産者の哲学と技術が不可欠です。このアペラシオンには、DRCとルロワというツートップを頂点に据えた、「ドリーム・チーム」とでも言うべきドメーヌ群が存在します。ここでは、特に影響力の大きい主要生産者を紹介します。

 ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ (Domaine de la Romanée-Conti – DRC)

「ロマネ・コンティのドメーヌ」という、ある意味身も蓋もない名称ですが、あまりにスゴすぎてそんな些事は気になりません。英語圏では、他の追随を許さない様子から、「ザ・ドメーヌ」と呼ばれています。紀元900年頃のサン・ヴィヴァン修道院の設立まで遡れる蔵で、長い歴史のおかげで、特級畑の所有面積の広さは独禁法に触れそうなぐらいです。ロマネ・コンティ、ラ・ターシュというふたつの単独所有畑に加え、リシュブール、ロマネ・サン・ヴィヴァン、グラン・エシェゾー、エシェゾーの特級畑でも最大所有者になっています(つまり、ヴォーヌ・ロマネAOC内にDRCが所有するすべての特級畑において、最大所有者)。毎年発売するのは、ヴォーヌ・ロマネAOC以外の3つのワイン(モンラッシェ、コルトン、コルトン・シャルルマーニュ)を加えた9銘柄ですが、すべてが特級畑という構成で、こんな蔵は当然、他のどこにもありません。なおDRCは、ヴォーヌ・ロマネAOC内に、一級畑の区画もふたつ、少しずつ所有していています(レ・ゴーディショ Les Gaudichotsと、レ・プティ・モン Les Petits Monts)。希ですが、それらと特級畑に植わる若木の果実を混ぜた、「ヴォーヌ・ロマネ・プルミエ・クリュ デュヴォー・ブロシェ  Duvault Blochet」というキュヴェを、出した年もありました(デュヴォー・ブロシェは畑名ではなく、DRCの基礎を築いた19世紀の所有者名です)。最近では、一級畑レ・プティ・モンを単独で瓶詰めしています(2018ヴィンテージ)。これらのワインは一級畑産ながら、マニア垂涎の「激レア」アイテムのため、流通価格は特級畑とさして変わりません。

 1942年からのDRCは、ド・ヴィレーヌ (de Villaine) 家と、ルロワ家の共同所有となっています。50年近くにわたって共同経営者を務め、DRCのまさに「顔」だったオベール・ド・ヴィレーヌ (Aubert de Villaine) が2022年に引退し、ラルー・ビーズ・ルロワ(Lalou Bize-Leroy)の娘であるペリーヌ・フェナル (Perrine Fenal) と、オベールの甥であるベルトラン・ド・ヴィレーヌ (Bertrand de Villaine) が後を継ぎました。

ルロワ家と聞いて、ハテと思われた方。そうです、次項で述べるドメーヌ・ルロワの現当主、ラルー・ビーズ・ルロワは、1974年から1992年まで、オベール・ド・ヴィレーヌと一緒にDRCを経営していました(両家の株式の持ち分は、50:50)。しかしながら、ラルーがDRCの商売敵になりかねない自身の蔵(ドメーヌ・ルロワ)を、1988年に立ち上げたのに加え、DRCのワインの販売方法をめぐって、まずまず問題のある「ルール破り」をしでかしたのを理由に、1992年にラルーは共同経営者を解任されてしまいます。ラルーの後を継いだのが、ドメーヌ・プリューレ・ロックのオーナーでもあった、ラルーの甥のアンリ・フレデリック・ロック(Henry-Frédéric Roch)でした(ロックは2018年、56歳という若さで他界しています)。余談ですが、オベールとラルーの対立は、1976年の「パリスの審判」に端を発するという説があります。審査員のひとりとして参加したオベールに対して、ラルーは「アメリカワインを勝たせた」と、厳しく面罵したのです。もの静かなオベールと、激情型のラルーとでは、そもそもソリが合わなさそうで、20年近く一緒にやっていたのが不思議にすら思えます。

DRCはロマネ・コンティの畑を馬で耕やす

ブドウ栽培は、1980年代という早い時期オーガニック農法を開始し、その後ビオディナミ農法のテスト導入を経て、2000年代後半には完全にビオディナミに移行しました。高い樹齢、低い収量、そしてリスクを冒しての遅摘みが特徴で、仕込みでは、果実の大半を全房発酵でワインに変えます。アンリ・ジャイエが提唱し、一時はブルゴーニュ全体を席巻した完全除梗の時代(1980~1990年代)にも、DRCは変わらず、昔ながらの全房を貫きました。DRCの赤ワインに共通する、独特の凝縮した果実風味は、遅摘みと全房発酵が合わさって生まれているようですが、それだけでは説明がつきません。樽熟成には、「フレンチオークのフェラーリ」とでも呼ぶべきブルゴーニュ地方随一の樽製造業者、フランソワ・フレール社の新樽が用いられます。

ドメーヌ・ルロワ (Domaine Leroy)

前述のとおり、かつてはDRCの共同経営者の地位にあったラルー・ビーズ・ルロワが、1988年に設立したドメーヌです。ヴォーヌ・ロマネのドメーヌ・シャルル・ノエラ (Domaine Charles Noëllat) とジュヴレ・シャンベルタンのドメーヌ・フィリップ・レミー (Domaine Philippe-Rémy) を買収し、それらの畑を合わせて生まれました(日本の高島屋が、一部を出資しています)。ルロワ家は1868年から代々、高品質志向のネゴシアン業を営んできていましたが、ドメーヌ元詰めの普及に伴い、買い付けられる優れたワインの絶対量が減り、自家栽培の道へと進んだ、というのが設立経緯です。コート・ドール全域に、多くの特級畑、一級畑を所有していますが、そのほとんどが1ヘクタール未満で、銘柄あたりの生産本数がわずかなため、極端な高値が付けられます。ヴォーヌ・ロマネAOC内の所有区画は、特級畑リシュブール(0.78ヘクタール)、ロマネ・サン・ヴィヴァン(0.99ヘクタール)、一級畑ボーモン(2.61ヘクタール)、オー・ブリュレ(0.27ヘクタール)、村名格ヴォーヌ・ロマネ(1.23ヘクタール)になります。

ラルーは敵愾心むき出しでDRCに挑んでおり、ともに区画を所有するリシュブールとロマネ・サン・ヴィヴァンにおいては、市場価格においてルロワがDRCを大きく上回ります。供給量がかなり違うので、品質差が価格に表れているとは言えませんが、ラルーはおおいに溜飲が下がっているでしょう。何事においてもラルーは非妥協の人で、手がけるワインはどれも、法律上の格付けの2段上を行く品質で知られます(値段も比例して高いですが)。ビオディナミ栽培(1990年代初頭から)、極端な低収量、100%全房発酵、フランソワ・フレール社の新樽で熟成といったワイン造りの手法は、古巣のDRCと共通点が多いです。

1932年生まれのラルーは今、90歳を超える高齢に達しており(2025年時点)、後進世代への引継ぎが進められていると想像されます。

ドメーヌ・メオ・カミュゼ (Domaine Méo-Camuzet)

ヴォーヌ・ロマネの名家が営むドメーヌで、20世紀初頭に政治家だったエティエンヌ・カミュゼ (Étienne Camuzet) が設立しました。1959年から1980年代後半までの時代、不在地主として畑の耕作およびワイン造りを、伝説の醸造家アンリ・ジャイエに任せていたのは広く知られています。1989年、若きジャン・ニコラ・メオが当主となり、ジャイエの手ほどきを受けつつ、ドメーヌ元詰めを本格化させました。メオは優秀な弟子で、師匠の教えを守りつつ(完全除梗、高い新樽比率など)、目の覚めるようなワインを世に出し続けています。ヴォーヌ・ロマネAOCに所有するのは、特級畑リシュブール(0.35ヘクタール)、エシェゾー(0.44ヘクタール)、一級畑クロ・パラントゥ(0.30ヘクタール)、オー・ブリュレ(0.73ヘクタール)、レ・ショーム Les Chaumes(2.01ヘクタール)、村名格ヴォーヌ・ロマネ(1.40ヘクタール)です。

ドメーヌ・エマニュエル・ルジェ (Domaine Emmanuel Rouget)

息子がいなかったアンリ・ジャイエの跡を、血族して継いだのがエマニュエル・ルジェです(アンリの妻であったマルセルの甥)。アンリおよびそのふたりの兄が所有していたブドウ畑を耕作し、ワインにしています。ジャン・ニコラ・メオと同時期、1980年代半ばからジャイエに師事しはじめ、師の段階的引退に伴って、その畑を引き継いでいきました。一時期、体調問題を抱えていましたが、現在はふたりの息子であるニコラ (Nicolas) とギヨーム (Guillaume) がドメーヌの運営に参加していて、ワインは安定した高品質を見せています。栽培、醸造の流れについては、師の教えを忠実に守っており、ジャイエのワインほどの品質評価には達しないものの、抜群であるのは変わりません。ヴォーヌ・ロマネAOCに保有するのは、特級畑エシェゾー(1.43ヘクタール)、一級畑クロ・パラントゥ(0.77ヘクタール)、ボーモン(0.26ヘクタール)、村名格ヴォーヌ・ロマネ(1.20ヘクタール)です。

ドメーヌ・デュ・コント・リジェ・ベレール (Domaine du Comte Liger-Belair)

こちらもメオ・カミュゼ同様に、名家が営むドメーヌで、リジェ・ベレール一族は、教会、軍、ワインの売買と多方面で名高い存在でした。1815年、最初のリジェ・ベレール将軍が、シャトー・ド・ヴォーヌ・ロマネという建物を取得したとき、単独所有畑ラ・ロマネが手に入っています。20世紀の後半、畑は小作人によって管理され、仕込まれたワインも他の大手ネゴシアンに売られていました。2000年にルイ・ミシェル・リジェ・ベレール子爵が、ドメーヌを再興すべく、自身での耕作とワイン醸造を始め、それから四半世紀でトップグループに入っています。現在、耕作はビオディナミ農法で行なわれていて、比較的早いタイミングでブドウを摘むのが特徴です。そのため、ワインは力強さ、凝縮感よりも、デリカシーとフィネスが前に出たスタイルになります。ヴォーヌ・ロマネAOCに保有するのは、特級畑ラ・ロマネ(0.85ヘクタール)、エシェゾー(0.62ヘクタール)、一級畑レニョ Reignots(0.73ヘクタール)、スショ Suchots(0.22ヘクタール)、レ・プティ・モン(0.13ヘクタール)、レ・ショーム(0.12ヘクタール)、オー・ブリュレ(0.12ヘクタール)、村名格ヴォーヌ・ロマネ(2.24ヘクタール)です。

コント・リジェ・ベレールの瀟洒な建物

ドメーヌ・アンヌ・グロ (Domaine Anne Gros)

ヴォーヌ・ロマネには、グロ姓を名乗る一族の営むドメーヌが数多くあり、総じてワインのレベルは高いです(1830年にヴォーヌ・ロマネにやってきた、アルフォンス・グロがその祖先です)。中でも、頭一つ抜けているのは、ブルゴーニュにおける女性醸造家のはしりのひとり、アンヌ・グロでしょう。1988年、22歳で父の跡を継いだアンヌは、デリカシーと力強さを兼ね備えた鮮やかなワインで、スターダムを駆け上がりました。小さなドメーヌで供給量が少ないところに、買い手が殺到するので入手困難ですが、そのワインはどれも探し求めるのに値します。ヴォーヌ・ロマネAOCに保有するのは、特級畑リシュブール(0.60ヘクタール)、エシェゾー(0.76ヘクタール)、村名格ヴォーヌ・ロマネ(0.39ヘクタール)です。

ドメーヌ・デュージェニー(Domaine d’Eugénie)

もともとは、アンリ・ジャイエの師匠として知られる名手、ルネ・アンジェルが営んでいたドメーヌで、孫のフィリップ・アンジェルが2005年に若くして他界したため、売却されました。買い手となったのが、フランス有数の大富豪フランソワ・ピノー率いるアルテミス・グループです(アルテミスは、シャトー・ラトゥールほか、超高級ワイナリーを世界中に保有しています)。フィリップ・アンジェルの時代も、実にエレガントで美しいワインが造られていましたが、売却後は大資本の力で畑・セラーの両方が改革され、さらなる高みへと達するようになりました。ヴォーヌ・ロマネAOCに保有するのは、特級畑グラン・エシェゾー(0.50ヘクタール)、エシェゾー(0.55ヘクタール)、一級畑オー・ブリュレ(1.14ヘクタール)、村名格ヴォーヌ・ロマネ(1.17ヘクタール)です。

5. ヴォーヌ・ロマネのまとめ

最高のブドウ畑から、最高の生産者たちが、品質・価格ともに他の追随を許さないワインを造るヴォーヌ・ロマネAOC。「ニワトリが先か、タマゴが先か?」の問いが、頭に浮かびます。推測にはなるものの、ヴォーヌ・ロマネに関する限り、先にあったのは格段に優れたテロワール、ブドウ畑ではないでしょうか。「肩書きが人を作る」という言葉が描く状況にも似て、ローマ時代から伝わる宝石のような土地に働きかけた人たちは、自ずと腕が磨かれていったと想像されます。

ヴォーヌ・ロマネAOCは最高であるがゆえ、特級畑や、トップクラスの一級畑のワインは、今日もはや飲み物の値段ではなくなってしまいました。それでも、「死ぬまでに一度は」、あるいは「死ぬ前の最後の酒として」、口にしてみたい。望みうるならば、熟成のピークにあるボトルを、最高のサービスでもって、ゆっくりと。「リキッド・ゴールド」(飲む黄金)という表現が、腹落ちする瞬間を味わえること請け合いです。

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