ダンナとヨメはわたしが生まれるよりもずっと前に、ワイン会というもので出会ったらしい。ヨッパライなダンナとヨメから迷惑をこうむることもある。でもこの家にはワインセラーに入りきらない「早く飲まなきゃならない、ふだん飲み」というたくさんのワインのために、 1年中、涼しめじゃないとダメなんだって。
これは快適。ちなみにわたしは、ストリートキャットだったの。ノラのお母さんから生まれた生粋のストリートキャットではなく、捨てられた系。真夜中に酔っぱらったダンナとヨメが路上に迷うわたしを見つけて、文字どおり「酔った勢いで」そのまま家までお持ち帰りされた。ま、このあたりはワインとあまり関係のない話ね。もっとすごい家のネコになっていたかもしれないけれど、いまの生活におおむね満足しているわ。だからダンナとヨメが出会うことができたワイン会があってよかったなぁと思っている。
文・写真/堀 晶代
【目次】
1.ワイン会 1990年代
2.ワイン会 2000年代
3.ワイン会 2010年代
4.ワイン会 2020年代
ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」が監修しています。ワインを通じて人生が豊かになるよう、ワインのコラムをお届けしています。メールマガジン登録で最新の有料記事が無料で閲覧できます。
1.ワイン会 1990年代
平和な時代があったみたい。
わたしがこのコラムにデビューしたとき、まっさきに言ったけれど、ヒトはヨッパライになると、やたらと話がながくなる。そして昔のことを話したがるの。あともうひとつ付けくわえるなら、みょうにミライを考えては、喜んだり、凹んだり。なるようにしかならないってわかっているのは、むしろ、ネコよ。
ヨメはときどき、言う。
「あなたと出会ったワイン会って、誰が来るのかが分からなかったなぁ。でも持ち込みワイン会で失礼じゃないものとして、当時の月収で1日分のドメーヌ・フランソワ・ラヴノーのレ・クロ 1990を選んだのよね」
「今だったら、月収の半月分だよ?」
「でしょ。あなたはジャイエ・ジルのエシェゾーを持ってきていたよね。ただあのレ・クロがブショネではない、なにかの劣化があったことは、今でも謎」
「ワインの劣化は、ブドウやワインの責任じゃない。ブドウやワインに携わった人のミス。要するに目の前にあるボトルに罪はない。レ・クロの素晴らしさを発揮できていないからこそ、大切に味わった」
「まるで開髙健の『ロマネ・コンティ 一九三五年』だね。傷んだワインを批判することはカンタン。でも『敬意をもって飲むよ』っていうあなたは、ほかのワイン飲みとはすこし違うと感じた」
と、まぁ、ノロケ出す。
でもそれはきっと、悪いことではない。
ネコだってワインだって、「わたしは、こうあろう!」と思って世に出るわけじゃないのだから。それを勝手にあーだこーだ言われるのは、ゴメンだわ。
ヒトもタイヘンね。ヨメがはじめてゴージャスなワイン会に行ったのは、「出会いのワイン会」よりだいぶ前だったみたい。
「前座には造り手もヴィンテージも忘れたツェラー・シュヴァルト・カッツが出されて。素直においしいなぁと思って飲んだけれど、じつはその日の真骨頂はDRCのグラン・エシェゾー 1988。これをまったく、おいしく感じなかったの。いまだったらおいしく感じられなかった理由も分かるでしょうけれど、おいしくないと言ったら、『失礼な』とか『わかっていない』っていう非難の嵐」
「あの頃は頑張ればグラン・ヴァンが買えたのはよかったけれど、ほんとうはどんな状態だったのかな?ブショネひとつでも100%断言できるまでに、時間がかかったし」
「それを知る方法が、ひとつだけある」
ふうん。ヒマだから、聞いてあげる。