世界中のワイン産地で栽培・醸造の修業を積んだあと、日本産ワイン(日本ワイン+国産ワイン)の現場に立った筆者が直面した、日々の現実をさまざまな角度から切り取るコラム。現在独立して業界に忖度や遠慮がいらない立ち位置のため、書く前から光:影が1:9くらいのバランスになる気がしないでもない。第4回はブドウ畑から無限に出てくる石を取り巻く、報われない人間たちの愛憎劇。
文/國吉 一平
【目次】
1. 「ネームド」となった無機物たち
2. 石文化は世界共通
3. Rock, Paper/Weed, Scissors?
4. ミエナイドリョク
1. 「ネームド」となった無機物たち
“galets roulés”。ただの石ころの分際ながらどことなく韻を踏み、自身が特別な存在であるというブランディングに成功した例である。日本ではしばしば「ガレ・ルレ」とカナ振りされているが、カナだとさもおいしそうな響きだ。実際の発音はまぁ、「R」が入っていることからも想像できるとおり、そうでもないのだが。
単に囲いを意味した“clos”という石垣は、ブルゴーニュワインの高騰と比例し、いよいよ神格を付与されてしまった。短い単語ながら、1ワードあたりの単価は世界一高そうだ。
ポルトガルはピコ島の大地に築かれた“currais”などは、もはや狂気ですらある。仮に現人類が滅亡したとして、新たなる知的生命体の考古学者は、果たしてアレをブドウ畑の痕跡だと結論付けることができるのだろうか?
ブドウ畑が連綿と続いてきたことをはっきりと意識させ、ブドウ栽培が大地に根差しているという事実を連想させる石や岩は、まさに最強の視覚ツールである。ただそこにあるだけにも関わらず、それこそがその土壌を形づくった、母岩的な何かだと信じ込ませてしまうのだ。仮にそれが、どっかから持ってきて置かれただけのものであったとしても。
このツールは何も、ヨーロッパの専売特許ではない。例えば新興産地といえるニュージーランドのオタゴですら、畑に飛び出た無骨なシストは、そこにたどり着くまでの風景との連続性を感じさせ、できあがるワインの説得力をも増強する。
石が土壌に資するところは、物理的排水性を除けばほとんど何もない、などとディスられて久しいが、いまだそのメッセージ性は衰えるどころか、日増しに強くなっていくばかりである。